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仕事をしたくないのか、仕事が向いていないのか問答

仕事がしたくないのか、向いていないのか

 

仕事は大変ではありますが、苦しいものではありません。仕事というものは、社会へ働きかけること。物理の授業に出てくる「仕事」と同じなんです。働きかけて、力を加えたり、改変したりするから仕事です。ということは、仕事自体に肉体的大変さはあっても、精神的苦しさはないはずです。もちろん、肉体的に疲弊して苦しい、辛いということはあるでしょうが、その間の手順を丸ごと飛ばして即、苦しいのであれば、それは仕事ではなく苦役です。

 

さて、仕事に否定的な感情を抱くのには、大きく分けて2種類あるということに気づきます。ひとつは、仕事がしたくない。もうひとつは仕事が向いてない、です。

問題となるのは当然、前者。仕事がしたくないということは、生きているすべてのことが面倒臭い、なにもやりたくないということであって、これはもう人として向いてない。遊ぶこと、浪費することにすら本気になれず、そこで社会に働きかける、仕事にするという視点や覚悟すら持てないなら、物理的に仕事ができない人だということです。これはもう、どうしようもありません。一方、後者は違います。

 

学生時代、私はぐうたらだと思っていましたが、こうして文字を書くことと、考えることならいくらでも続けられます。たったひとりでひと月でも、ふた月でも缶詰になって作業をすることに微塵の不安も不満も感じません。それどころか、片目がほぼ見えなくなって、もう一方も怪しい状態。それに加えて体に麻痺が起きているとしても、音声認識とタッチパネルでこうしてブログを書いています。普通なら諦めてしまうかもしれないといわれますが、本人はやりたくて仕方がないのです。諦めるだなんてとんでもない。死んでもやめてなるものか、やめるくらいなら死んでやる。それくらいこういった作業が好きです。デザイン仕事や業務改善案をつくるといったことが、したくてたまらない。それ以外は「なにひとつやりたくない」のに、やりたいことであればどんな障害も障害と思いません。体が不自由なら不便ではありますけどね。諦める理由にはならない。

 

つまり、仕事が向いてないのであれば、仕事と感じないような仕事をみつければいい、ということです。向いていないことをやり続けて、まったく芽が出ないまま「どうせ病」にかかるのが一番恐ろしい。どうせなにをやっても無駄だという病気、虚無主義、ニヒリズムですね。どんどん自分に自信がなくなります。

 

先述のとおり、学生時代の私はぐうたらだと思っていたのはここにあります。ほかの学生はせっせと「ツマンナイ」バイトをやるのです。品出しだの、ホール係だのです。私はそういった長時間労働が大嫌いで、稼ぎがいいものばかり選びました。とにかくお金を稼いで、すべて本に注ぎ込み、本を読む時間が欲しかったからです。みんなが汗水垂らして長時間働けているのに、自分はそれができない。特殊清掃やパチンコ店のホールスタッフ、深夜の雑居ビル掃除などをスポット的にやりました。社会的にみたら異常者です。独居老人が亡くなった部屋の畳替えなんて、夜逃げのような仕事です。ウジ殼だらけの部屋に入るなんてね、気が狂っているといっていい。私自身その自覚があったからこそ、ぐうたらで、楽をしたいだけのダメ人間だと思い込んでいました。しかし、視点を変えれば、そんな仕事ができる人間なのです。また、本を読む、学ぶ、書くといったことが耐えられない人も世の中にはいることが20代も終わりにさしかかってからわかりました。

 

どうですか、向いてないことなんかやっている場合ではないことが、なんとなくでもおわかりになりましたでしょうか。

 

それがみつからないから困っているという人もいるとは思いますが、少し前の段落に戻ってみてください。あなたは遊ぶことや浪費することにすら本気になれないのでしょうか? だとしたら酷なようですが、人間に向いていません。でも、おそらくはそうじゃあない。本当に向いている仕事みつけるつもりがないだけではありませんか? アイドルの追っかけのためなら人生を賭けられるなら、それを仕事にすればいい。アイドルを追っかけるためのサービスをやればいいし、アイドルの事務所と組めないか聞いてもいい。美味しいパンを食べることが無上のしあわせならば、自分で焼くのもいいし、世界中に食べに行くのでもいい。そこからひと捻り、ふた捻りして、仕事化すればいいだけの話です。

 

仕事が好き、仕事人間だ、愛社精神の塊だという人がいますが、彼らは自らの仕事を嫌々やらされる仕事と思っていません。だからああして、企業戦士をやれるのです。否定的な感情を抱く苦役と思ってはいないからこそできる芸当です。そんな彼らを見下したり、バカにしたりするあなたは、本気で天職を探してもいなければ、転職する根性もない。そこを指摘されるのがおっかなくって、虚無主義、ニヒリズムに逃げ込んでいるだけではないですか? やりたくもないけれど、仕方なく仕事をするだなんて、会社にとって最悪です。なによりあなたにとっても最悪です。

 

運のいいことに、現代の、しかも場合によっては日本というセーフティネットがある社会に属するあなたは、やりたくもないことをやらないと宣言できる立場にあります。やりたいことで社会に働きかけ、本気になって取り組めることをすればいい。それが一番社会のためになるのです。そんなことになったら、世の中大混乱だという話もありますが、農家や筋肉労働者が減ったら収入が増加しますから、やってもいいよって人がやるようになるだけです。少なくとも、農家が減って食うものがないという事態になれば、私は家庭菜園と稲作くらいは自分でやります。高糖度のみかんやら、高品質のいちご栽培といったプロの仕事は無理でしょうが、不味くても食えるだけのものくらい、自分でどうにかしてもいいと思っています。農家に限らず、どうしても我慢できない、やってられないと思いながら仕事をする人よりは、社会に蔓延するストレスの総和は減るはずですから、だったらそちらのほうがいいでしょう。目に見える価値や富は減っても、しあわせは増えます。

 

もう一度考えてみてください。

あなたは仕事がしたくないのですか? それとも仕事が向いてないのですか?

 

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