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継続は力なりについて

継続できるものだけが力になるということ

継続は力なりといいますが、この言葉の意味は誤解されているのではないかと常々感じています。といいますのも、どんなに辛くても継続すればいい結果に結びつくだとか、我慢や努力によってすべてが達成されるという美徳、美談的なものと強く結びついているのです。でも、いまいちど冷静になって考えてみれば、そんなことはありえないのですね。

 

無理なく継続できることこそ、努力すべきこと

 

私は体を壊し、ほぼ寝たきりの生活を5年ほど続けています。最近は目も見えず、車の運転もできなくなりましたから、ひきこもり同然です。全身の激痛から昼も夜もなく苦しんでいますけれども、なんとか生きることは継続できています。さらに、こうして書く(音声認識を使って話す)ことも継続できています。それは、この努力が無理のない範囲だからです。2017年から2018年までは1年半足らずで80kgほどダイエットに成功しました。薬の副作用やストレスもあって酷く太っていたのですが、今度は低体重で太る努力をしなければならなくなるほどです。

 

病気の苦しみや、ダイエットというものは、多くの方が乗り越えられないものだとも耳にしますが、案外私はそのあたりをかわして生きておりますし、こうして日々なにかを書くこともさして苦労に感じません。つまるところ、私自身に特別根性がないわけではないのだろう、ということです。ただ、世の中にはどう考えても向かないことがあって、それを「継続は力なり」と無理をして努力するからおかしなことになるのだと思うのです。

 

無理をして継続、努力する人と、無理なく継続する人、好きで好きで仕方なく、放っておいてもやり続ける人などがいて、そんな面々を相手に、やりたくもないのに努力して続ける人間がしあわせになるということは、まずありえませんよね。苦労すればするほど人間が磨かれるというのはウソです。苦労して苦労してやり遂げたということは、過程であって結果ではありません。苦労の過程も含めて評価してもらいたいというきもちはわかりますが、だとしたら、生まれ持った才能で簡単にやり遂げられる人は苦労や努力が「できない」ので、今度は不当に低く評価されることになります。彼らはどうしても苦労できない星の下に生まれたのですから、これはこれでかわいそうだという議論もできてしまうのです。

 

創作の世界では顕著ですが、がんばったから評価されるとは限りません。時間がないから間に合わせに書いておくかと提出した原稿が激賞されることもあります。これだけ我慢して、自分を犠牲にして、苦労して書いたのだから、いい評価でなければ許せない。そんな風に思う時点で、その創作物はおもしろくないということなんですよね。制作上の一定程度の苦労はあれど、著者が楽しんで創り上げたものは、やはり魅力的なのです。プロスポーツの世界でも同じです。よく選手たちが「大変だ、苦しい、楽しいと思ったことなんてない」といったことをいいますが、あれはウソですね。なぜって、我々のように才能がない人間、努力してもそうはなれなかった人間の人生を、彼らは生きたことがないからです。我々の「大変、苦しい、楽しくない」を知ったらば、彼らのそれらは児戯に等しいということに気づくはずです。より高い次元での大変さ、苦しさを味わえている時点で、十分に楽しいはずなんです。

 

ですから、一線級の人間が口にする、努力、ここでいう「継続は力なり」を、そっくりそのまま信用してはいけないわけです。

継続できるもの(事柄)だけが、あなたの力になるのです。

 

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