人生の「幸・不幸」は引き算すれば確かめられる
あなたの人生は本当に不幸なのか
単純な問いに答えよう
まず、いまのあなたの幸福度は1〜10までの10段階でどれになりますか? 1はいまにも自殺してしまいたほどの状態。10はしあわせすぎてどうにかなりそうな状態です。さて、あなたの幸福度はいくつでしょうか。
決まりましたら、次の話を読んでみてください。
あなたは懸命に仕事に打ち込み、何日も不眠不休で会社に尽くした結果、ストレス性の狭心症で倒れてしまう。これ以上無理をすると死んでしまうといって、医者はあなたを帰そうとしない。その結果、仕事に大穴を開けて会社にいられないようになってしまった。健康を害し、仕事も辞めることになったあなたは、結婚を前提としていた異性の両親から無職の人間は困るといわれ、別れざるをえなくなる。あなたのいまの幸福度はどれくらいか想像して欲しい。
想像できましたでしょうか?
あなたはリハビリの末、仕事を変え、無理をしないように勤めはじめた。昔のようにはいかないけれど、できる限りで働いた。すると全身を激しい痛みを伴う症状が出はじめ、利き腕が麻痺して動かなくなった。次に下半身に力が入らなくなり、歩くのが難しくなった。痛みのために日に1〜2時間しか眠れず、嘔吐を繰り返すようになる。
想像しましたか? この状態のあなたの幸福度はどれくらいでしょう。
ほぼ寝たきりとなったあなたが絶望に打ちひしがれていると、今度は目が見えなくなった。日中外に出ると光の刺激で視界がぐるぐると回り出す。右目の視力は限りなくゼロになり、左目の視力も半分以下まで低下してしまった。
この状態のあなたの幸福度はどれくらいでしょう。
人間は自分の人生を正しく評価できない
付き合わせてしまって申し訳ございません。これらすべて、私自身の話です。
ぼかしている部分もありますが、だいたい事実そのままです。
さて、いま、ここを読んでいる多くのかたは、こんな状態ではないと思います。
こんな状態ではない、いまのあなたの幸福度はどれくらいでしょう。
改めて点数をつけてみてください。
はじめにした質問の数字より、きっと「高くなっている」はずです。
これはなにも恥ずべきことではありません。五体不満足(だった)私が恥じる必要はないといっているのですから、恥じる必要などないのです。
ともすれば人間は、いま持っている資産の価値をいたずらに低く見積もってしまいがちです。でもいま、この面倒な点数付けに真剣に取り組まれ、そしてそれが「このブログを書いている人」の実体験だと知ったとき、自分がどれほどの資産を持っているのかに気づけるのです。
このような引き算体験(もし自分が当たり前に持っているものを持っていないとしたらという想像体験)の効用を語るときに『素晴らしき哉、人生!』という作品が引き合いに出されることが多いのですが、「自分はもうダメだ」と思っていても、実は全然ダメじゃなかったりします。不幸の連続でどうしようもないと
引き算体験が人生の価値を確かめさせる
死の淵や絶望の果てから舞い戻ってきた人が、やたらとポジティブにモノを語る姿を見たことがあると思います。
「人生は捉え方次第」「心の持ちよう」「道は拓ける」「明日がある」
……
正直な話、私が「もうダメだ」と思っている最中は、くびり殺してやりたいほどの怒りの感情を持って見ていました。また、それ以前の健康なとき、学生時代も、「綺麗事をぬかすな、この野郎」と思っていました。正直が過ぎるかもしれませんが、そう思っていたのです。
いま、現実に苦しんでいる自分のきもちを理解もしないで、しあわせそうにするなと思っていたんです。SNSやブログなどを見ると、たくさんの人が同じように怒り、苦しんでいる姿が目に入ってきます。でも、やたらとポジティブな人たちは、無責任にあんなことをいっているわけでも、皆さんを苦しめるためにいっているわけでもないんです。私自身、同じように苦しみ抜いて、「終わった」と思ってから舞い戻った身としては(まだ満足に体は動きませんし、目も見えないんですが)、「素晴らしき哉、人生!」と思えてしまうのです。
ああ、なんと自分はしあわせなのか。まだ生きている、助けられている、感謝ばかりだ。どう感謝し、どう社会に返せばいいのかわからない! しあわせすぎてどうにかなってしまいそうだ!! 幸福度は10だ!!!
こんな風に感じてしまうんです。だって、あの人たちも私も、幸福度が1点だったんですよ。1点だったころからほんのちょっと人生が拓けて、2点になれば、しあわせは倍ですからね。3点なら3倍です。普段の幸福度が4点以上の人には味わえない飛躍です。興奮しすぎておかしく(?)なるのも頷けると思いませんか。
ちなみに、幸福度が2点や3点、人によっては4点あたりが一番苦しいです。このあたりで人生を呪ってしまう人、生きることをやめてしまう人が出るのもわかります。
なぜ本当のどん底に落ちる前に、人間は絶望してしまうのか。それは、まだまともな人間の形をしているからです。他人と比較して、自分の価値を確かめようとして、誰かより稼ぎがない、学歴がない、運がないといっていられるから辛いのです。
私は1点まで下がる機会を得たからこんなことがいえるのですが、本当に引き算をして、資産を確かめ、ほぼほぼゼロだとわかるくらいまでどん底に落ちたら、あとはもう上がるしかないんです。生きていること、認識できること、それ以外なにもなくなって、はじめてこの2つの本当の価値がわかったんですね。
「なあんだ、生きてるし、生きていることを感じられる。痛みもわかる。いろいろわかるじゃんか」
そう思えたときに、1点だった人生は、1点じゃなくなりました。ものの捉え方が変わったというか、不幸のどん底である1点を、原点である5点に置き換えられたのです。こうなると、健康に生活している人の5倍、幸福を感じて生きることになります。当然ですよね。自分であらゆる要素を自動的に5倍するように仕向けているわけですから。しかも、絶望のどん底を知っているので、かつての1点以下にはなりません。つまり、この人たちの幸福度は、基本的には原点(5点)より悪くなることはないんです。
もう、無敵です。
この無敵状態の人が、テレビやラジオで、「あの人をイラつかせるポジティブ」を振りまくのは仕方がないのです。私も苦しむ人がいることがわかっているだけに極力抑えようとしていますが、元本割れなし・5倍の魔法がかかっている以上、あちこちにポジティブがあふれ出します。
いま、本当に苦しんでいるのであれば、
いえ、苦しんでいなくても、試しに自分の人生の資産を確かめてみてください。
割と色々持っているはずです。
無理をしろとはいいませんが、やたらポジティブになる人たちには法則的な方法論があって、それはここまで見てきたような手法から出てくるものなのです。
「しあわせそうなツラしやがって」ではなく、しあわせになるテクニックといいますか、臨界点を超えた人間の特殊能力といいますか。でも、難しいことではないので、きっと皆さんにも実現できることです。
いままでこうして言語化しているものを見たことがなかったので、恥を承知でまとめさせていただきました。なにかの役に立てば幸いです。
1年半で80kg痩せたの徳島文学協会員。趣味は人文系の本を読むことで、何度「断捨離」しても蔵書が3000冊を超える活字中毒者。仕事は広告デザイナー・社員教育コンサルタント・編集者ですが、徳島県阿南市に地域おこしのために私費で「e-sports・ゲームセンター」を新築中。ゲーセンのオヤジもやることになりました。
この記事へのコメントはありません。