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父親、この儚き存在について

父親は人工物

生物学的父は存在しても

 

近年、男性優位の社会に対してのアンチテーゼの声がよく耳に入ります。そこで、男、とりわけ父親というものについて考えてみることにします。

 

父親はとても複雑な存在で、我が子が我が子である確信を持てません。

これは恐怖です。この恐怖は女性にはわかりにくいことかもしれません。

そこで、ほぼすべての人間社会は、婚姻関係にある妻の姦通を厳に戒めました。

そうしないと、父親の気が安まらないからです。

下駄を履かせたということですね。

 

さて、父親はこのほかにも色々な部分で下駄を履かせてもらいます。そうしなければ、あまりに不安定な存在で、家族の構成員たりえないからです。家族は大切にするものですから、体格に勝る男性が暴力によって支配するという方法はありません。サルの社会から、強いオスは「選ばれる」のであって、暴力によって支配するという社会は聞きませんよね。なので、歴史的、生物の進化の観点からも、男は下駄を履かせてもらうことをルールとし、ときに法律にしました。家族法などはそうですね。

 

どうしてそんな情けないことをしなければいけないか。それは男という性別の弱さからだ、とみることもできるのです。男は子どもが生まれたからといって、自動的に父親になれるわけではありません。どういうことか。父親になるには、妻によって再度信任を受けなければならないということです。「妊娠し、出産したけど、あんたに養ってもらうのはやめておくわ」といわれればそれまでです。

 

父親は常に選ばれ続けなければならない存在だということです。不断の努力によって父親としての地位を買い続ける存在だといえます。

近年、この視点を持っている人が男女を問わずめっきり減ったなと思うわけです。

男は得ばかりしているというか、女は黙って男のことを聞けというか、気の強い相手を恐れて近づかないか。いずれかになっていますよね。

 

サルの社会には父親はいません。子育ては原則メスの仕事です。オスも仕方なく面倒をみますが、積極的には動きません。子どもをダシにして群れの一員に加えてもらう(アルファオスに優秀なベビーシッターとして媚を売る)ですとか、ケンカの仲裁に使ったりしますが、父親になろうと努力する例はまず、ないようです。

 

ほかの動物でも、オスが父親の仕事をすることは稀です。魚などには卵を守るという仕事があったりしますが、それは母親のなすべき(?)仕事を父親が担当するだけであって、父と母という社会的な区分があって、それぞれの特性に応じた活動をするわけではありません。

 

父親は不安定で、その地位を維持することは、超・高度な社会性と精神を持っていないと不可能だからです。アリやハチのような社会性を持つ昆虫、サルですら不可能なのですから、ヒトに限った性質といえます。

 

それなのに、父親は家族を養う義務があると多くの人間社会、文明下で規定されてきました。

 

つまりこれは、取引なのです。人間の子どもは大人になるまで15年はかかります。性成熟と考えれば、これくらいが適当でしょう。未熟なまま生まれるのがヒトだということです。この弱点を補うべく、どうしても母親より強く、家族を長期に渡って養う存在が必要になったのですね。その仕事を請け負ったのが父親という存在なのです。そして、この仕事を請け負う代わりに、不安定で、動物社会で見られない新しい試みの「父親(男)」に下駄を履かせてあげましょう、という合意が形成されていったと考えるのが妥当でしょう。

 

近代になって妙な形で法律化され、習慣化されたせいで、なにゆえ男が下駄を履いて、偉そうにしていられるかという部分が忘れ去られてしまったのですが、元々は人間が不完全に生まれてくるからであろう、というのが私なりの考えです。

 

ですから、「男はズルい!」ではなくて、どうしてそんな仕組みになっているのかまで見通して、父親というのも大変だなぁと理解のうえで、「男はズルい!」といっていただきたいのです。

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