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私がビジネス書が大好きな理由

金儲けは“はしたない”こと?

 

日本固有のものかは存じませんが、お金儲けは悪いことだという文化があるようです。聞けば明治以前はそうでもない、明治大正世代の祖父母の祖父母世代はそんな感じでもなかったといいますから、「欲しがりません勝つまでは」からきた、ここ100年の文化なのかもしれません。

 

しかしながら、私はそんな世間の風潮に反して「ビジネス書」や「経済書」「心理」の本が大好きです。趣味では「地理学」や「民俗学」の本を好んで読みますが、なんといっても「お金儲け」の本が好きなんですね。出版社に入るときも、「入社してすぐにビジネス書なりを担当させてもらえないなら面接は結構です。帰ります」みたいなことをヌカしたフテェ野郎なので、根っからのビジネス書マニアなんです。

 

ギラギラしたものが大好きなのは欲深だからに違いない……そうやって周囲に白い目で見られることは百も承知なのに、この悪癖をやめられない。酒もタバコも博打もスマホでガチャもしないのに、ビジネス書を買い集めるのだけは大好きなんですよ。

 

それはなぜなのか。

理由は簡単で、そこに人間の欲望が詰まっていて、しかも磨き上げられているからです。

 

まず、ビジネス書というものは経営者の努力やアイデアの結晶です。それはもうギラついている。でも、自分で編集やコンサルタントをしていればわかりますが、その原稿の大半、ほぼ90%はボツです。有り体にいえば、つまらないか、大したことがない。自費出版ならいざ知らず、出版社が責任を負ってまで出す価値がないのです。

 

ですから、有名出版社が企画と原稿を買い、本になっている時点で、それらはサラブレッド中のサラブレッドだったりする。経営者の血と汗と涙、欲望の結晶を、版元の編集者や経営者が選別し、カッティング(編集)し、さらに売れるように付加価値をつける。この時点で欲望の二重構造になっているんですね。

 

いかにして商売を成功させたか、させるかといったものに、その本をより効率的に売りつけるための知識や技術が総動員されて、書店の棚を奪い合い、読者の手元に届く。その過程に欲望が入らない箇所は微塵もない。純然たる欲望。欲望の純米大吟醸です。(お酒飲まないのでわかりませんけど)

 

それを読むことの楽しさといったらないわけです。世間の人間が眉を潜めるものほど楽しい。そういう「法に触れない悪事」って、やっぱりどこか魅惑的じゃないですか。このおもしろさに取り憑かれてしまうとですね、博打もアダルトも興味が持てなくなるんですよ。

 

機械や運に任せるようなものは味がない。

即物的なアダルトの世界は知性がない。

血と汗と涙と欲望。ドラマ性も足りてない。

 

これらすべてがビジネスの世界、ビジネス書の世界にはあるんです。

しかも作話ではない、ノンフィクションだからこそおもしろいのです。

ですからね、私が年にそういう本を500冊読もうが、600冊買おうが、全然立派な人間なんかじゃないんです。仕事大好き人間でも、勉強大好き人間でもありません。

博打好きが毎週、飯田橋の駅で早売りの競輪、競馬新聞を買うように、アダルトゲームのために月末の秋葉原に並ぶように、欲望に忠実なだけです。自分の欲を満たすために読んで、読んで、読み倒しているに過ぎません。

 

この5〜6年は体がボロボロになってしまって、目も見えずほとんど読めていませんが、読書をする人間は偉い! だなんて、思い込みも甚だしい。とんでもない勘違いです。私はギャンブル依存症患者や、性に目覚めた中学生とやっていることは本質的に変わらないのです。

 

世界最高の技術で磨き上げられた、最高純度の欲望を摂取したい。

ただその一心で紙片をめくっているに過ぎません。

 

本を読めば賢くなるなんて、本を読んでいない人のいうことですよ。

本を読めば読むほど、自分がバカだと痛感するんですから。

そして、私のようにわけのわからないことをするようになる。

一概に読書すればいいというものでもないのです。

 

まあ、ビジネス書のおもしろさについては保証いたします。

その結果どうなっても責任は取れませんがね。

 

  

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