サイトアイコン 3100.work

「ほめちぎる教習所」のやる気の育て方

成功する練習の法則と日本の指導について

 

スポーツの世界では顕著ですが、日本の選手は日本のコーチを頼まないことが多いですよね。

もちろん、実力や実績のあるコーチがいないということもあるでしょうが、

実績があっても指導者として迎えられていない例は少なくありません。

 

これは、テレビの世界対日本人のスポーツ中継をみていればわかったりします。

中継では、試合が中断するタイムアウト中にコーチや監督が指示を出すシーンがあります。

ここで日本人コーチが口にするのは「きもちで負けるな」「前へ出ろ」「勝てるぞ」

などという、指示にもならない精神論です。もちろん、勝負の世界にきもちは大切です。

しかし、あの世界の大舞台で、ヘトヘトになりながら全力を出している選手が、

まったく中身のない指示を真剣に聞けるのか、という話ではあります。上の空は確定的です。

 

一方、相手の作戦を見切り、それに対してどう攻め返すかといった中身のある指示は、

真剣に聞いておかないと理解できません。コーチが日頃から中身のあることをいっていれば、

大舞台の緊張と疲労状態でも「聞かなきゃ」と姿勢を正すことができるかもしれません。

そして何より、指示により作戦や方針が決定すれば、相手の弱点を突けるわけですから、

勝率も上がりますし、練習も効率的に行えるはずです。

 

日本人の指示下手は教育の賜物

 

受け入れがたいですが、日本人は指示が下手です。

詳しく考えることなく、すぐに精神論に「逃げ」ます。

「できない理由を探すな!」なんてかっこいいことをいうわけですが、実態はできない理由を探す

選手、会社であれば社員に、どうすればできるかを教えられない人間の「逃げ」だったりします。

 

優秀な指導者は、どうすればできるかを教えられます。または、どうすればできるようになるか

一緒に考えてくれます。そういった部分をめんどうくさがって、選手や部下に押し付ける。

それが伝統的な日本の指導法です。「質問しにくるな、自分で考えろ」「見て盗め」は、

実に日本的で、一種、美徳とされておりますが、抽象的な物事を言葉にして教えられないだけです。

 

読んでいてむかっ腹が立つかもしれませんが、やはり、教えるだけの力がないだけなのです。

そしてそれは、教える力を育成しない、徒弟制の教育の賜物だったりします。

 

ちょっとややこしいですが、日本の教育は教え方ではなく、学び方を重視しているので、

教わる側の姿勢はかくあるべし!と教えることに「成功」しているということになります。

それがいいことか悪いことかはまったくの別問題、というよりも、当然よろしくありませんが。

 

日本人がとかくマニュアルが嫌いなのもこのあたりに理由があります。マニュアルを考えだす

力がない人間が、人の上に立つことが「美しいこと」だと社会的に了解されているからです。

教え方ではなく、生徒側の学び方、学びの姿勢を幼いころより教えているからなんですね。

 

体罰が大好き(?)なのも同じです。殴っていうことを聞かせるのは、口で言い聞かせるだけの

指導力がございませんと喧伝しているのと変わりません。殴らずとも、恫喝、度を越した叱責で

強制(矯正)するのは、犬猫のしつけのようにしか指導できないということです。犬猫は言葉が

わかりませんから、体で覚えてもらうしかないのでそうしているのであって、人間相手なのに

体で教えるというのはあまりに原始的で進歩がありません。そして無駄が多く、危険すぎます。

 

火ノ丸相撲21巻はこれからの指導者の教科書です

 

これからの時代、などと大きく出るのははばかられますが、従前の恐怖で支配する指導しか

できないのでは困ります。でも、それが許されるのが日本です。

海外の選手は、コーチが気に入らないとすぐに別のコーチを雇います。つまり、クビです。

監督の交代劇が多いのも、指導する側が「従」であって、主ではないからです。

 

しかし、この話をすると誰もが決まって小馬鹿にした態度で「甘えてんじゃねえよ」といいます。

これが日本の指導者の姿勢です。

私はまるで逆だと考えています。甘えているのは「指導者側」なのです。

指導法の改善もせず、いつまでも暴力と恐怖、人を小馬鹿にした態度で逃げ続けているから、

愛想を尽かされて海外のコーチを招聘されてしまうのです。

言葉の通じないコーチなんて、本当は呼びたくないはずです。でも、呼ばざるをえない。

それを見て、日本人をコーチにしないなんてけしからん!などという人までいるのですから、

病膏肓にいたる、といったところです。

 

日本式「負のフィードバック指導法」の問題点

 

日本人は指導法が下手だという話をいたしましたが、指導下手なのは指導が「怒ること」だと

思い込んでいるからです。厳しくすることで成長が促進されると信じきっていて、そのほかの

方法を試そうともしないか、試して失敗すると甘い顔をしたからだと決めつけてしまうためです。

 

他方、外国のコーチの指導が上手いのは、大げさにほめることに抵抗がないからかもしれません。

彼らのリアクションはオーバーです。ちょっとしたことにも思いっきり驚きます。

そういった行動が恥で、斜に構えていることがカッコイイという日本人価値観とは真逆です。

思いっきり驚いて、最大級にほめておいて、数分後には忘れているのが彼らですが、

ほめられたり感動されて嫌な思いをする人は、まずいません。

ほめられれば、もっとこうしよう、ああしよう、がんばってみようと思いますが、

しかられると、二度としない、いわれたことだけやっとこう、がんばっても無駄だと思います。

 

正のフィードバックと負のフィードバックなどといわれますが、お前はダメだといわれ続けて

育つ名選手はめったにいないということです。たまに異常値で出てきてしまうのですが、

それは天才の部類です。そんな宝くじのような人間をみて、指導とは厳しくすることだと

思ってしまう。正のフィードバックを与えればまだまだ才能の原石があったかもしれないのに、

負のフィードバックによる選別は大量の犠牲のうえに成り立っている指導法といえます。

 

「魚にお前は陸で生きていけないからダメだ」と教えれば、魚は死ぬまで自分をダメだと思って

過ごす。という海外の格言がありますが、このように負のフィードバックに頼る指導法は

犠牲と無駄が多すぎるのです。それよりも、組織、国家でも構いませんが、

どうしようもない人材をそこそこにすることのほうが、たったひとりの超天才を選び出し、

磨き上げるより強くなります。団体戦はチームの力の底上げが、ひとりの天才への注力に

勝りますから、当然です。

 

また、個人競技であったとしても、1位になる才能はなくとも、指導者として裾野を広げ、

競技人口とその質を底上げすることに寄与できますから、超天才以外はいなくて構わないという

行きすぎたエリート思想は、結果的に組織単位でライバルに敗れ、超天才すら排出できなくなります。

人を指導する立場にある方は、ぜひともこういう事実を知っておいて欲しいと思います。

 

時代が変わり、従来の方法が正しくなかったか、時代にそぐわなくなった以上、変化するしか

ありません。人間は相手を変えようとしがちですが、自分に置き換えて考えればわかるように、

誰かに強制されれば、それがどんなに正しいことでも受け入れられなくなるものです。

だったら、相手が変わるのを待つのではなく、自分が変わればいい。もちろん、人間性を

無理に変えるのではなく、視点や、やり方を変えるのです。

次の項ではやり方を変えて困難な時代を乗り越えようとする自動車教習所の本を紹介します。

 

 

「ほめちぎる教習所」のやる気の育て方

 

若者の車離れが叫ばれて久しいのですが、これは単純に人口増ボーナスがなくなったからで、

若者が車に興味を失ったわけではありません。むしろ、いままでが売れすぎていたのです。

さらにはこのボーナスが経済自体も膨張させてきたので、車を買う余裕があっただけです。

人が減ったので相対的に買う人が減り、経済的に困窮し、買うとしても中古車。

むしろ自転車や公共交通機関で十分という生活を選ばざるを得なくなり、

自然とそれをよしとする「ミニマリスト」な価値観が醸成されてきたと考えるべきではないでしょうか。

 

このような時代ですから、教習所はもう生き残れないのです。危機的状況を通り越し、

すでに消滅寸前です。みなさんの周辺にも閉鎖された教習所がたくさんあるはずです。

これから10年もしないうちに自動運転車が出てくるといわれていますから、

ますます免許は不要、効率的な自動運転のバスやタクシーで事故や渋滞も知らずに

暮らせる未来がくるなら、免許取得費と手間、車の代金に維持費、保険料に燃料費が

いらないわけで、免許を持っている私ですら車を手放そうかと思うくらいです。

もう、若者は免許を取りません。免許を取るくらいなら都会に就職する道を選びます。

年に維持費等々で数十万円違ってくるのですから、当然そうなるでしょう。

それくらい彼らは先を見通しているのです。私の世代などから比べれば、本当に賢いと思います。

 

それでもまだ免許が必要な人はいるわけで、とはいえいままでどおりの方法ではリサーチ上手な

彼らに訴求できず、選んでもらわなければ、これからの教習所は生き残れないのです。

スポーツ同様、指導者は選ばれる時代なのです。

そんな教習所でほぼ唯一といっていいほど、成長しているところがあります。

三重県にある、南部自動車学校です。

この学校は、とにかくほめます。ことあるごとにほめるのです。

バカにしているのかと思うようなこと、「シートベルト忘れず締めて偉いね」とか、

そんなレベルでほめるのです。バカにされていると思うほど低いレベルでほめるということは、

相手に期待していないということです。相手に期待しなくなると、指導する側もイライラしません。

なんでこんなこともできないのか!というのは、できる側の論理です。

それを指導者側が一方的に押し付けて、ひとりイライラする。

自分で怒りに火をつけて、燃料をどんどん投入しているようなものです。

マッチポンプもいいとこです。

そもそも指導される側は、はじめはなにもわからないのです。

ですから、期待してほしいとも思いません。そこに勝手に期待して、バカ野郎!!なんていえば、

イヤになるのは当たり前です。そういう叱り方をするのはもっともっと先のことです。

ある程度できるようになって、それもプロ並みになって、自分に期待してほしいと思うほど

自我が芽生えてからのことです。それまではほめてほめて、正のフィードバックを起こすのが、

指導する側、される側双方にいいことなんですね。

 

怒って思い通りの行動を起こさせるのは、その場しのぎを覚えさせるだけです。

これからの指導は、ほめること。ほめることで師匠も弟子も伸び、職場の雰囲気もよくなり、

新しいことに取り組んだり、自分で考えたりする土壌まで生まれる。

信じられないことですが、これが事実なんです。

これまで信奉されていた指導法は、実は間違いだった。

天動説から地動説へ。この変化を受け入れられるかどうかです。

 

そんなの受け入れられない?

そうですか。では、私がこっぴどく、心がへし折れるまで叱ってさしあげましょう。

うれしいでしょう? あなたが望んだ指導法ですよ。

 

モバイルバージョンを終了