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毎日本を読んでも、365冊と1冊あるなしだけど

これから30年生きたとして、毎日1冊本を読んでも10950冊と閏年のぶんしか本を読めない。

そもそも、自分は30年も生きられるだろうか。

10年? 3年? 本当は明日だって生きている確証はありません。

おそらくは生きているだろうけれど、「おそらくは」とまでしか答えられない。

大きな病気をすると、どうしてもそんな計算をせざるをしてしまいます。

でも、それってそんなに悲しいことなのかな、とも思うわけです。

 

「マイナス思考だ」ともいえるけれど、ゴールがわかるから計画が立てられるともいえる。

そしてそのゴールはまったくの未確定で、「おそらくは」たくさんある。

 

たとえば、明日がゴールだったらどうだろう。

よく聞く「今日が人生最後の日と思って生きなさい」ってやつですね。

とても教訓めいていて、実にすばらしい言葉です。

でも、これを掲げて日々暮らすのは凡人の自分には大変で、ちょっとできかねる。

だから、たまにやることにする。

「今日は、『今日が人生最後の日だと思って生きる』日にしよう」といった具合に。

毎週火曜日はそうしようとか、そんな頻度で。

 

すると「今日は人生最後の日と思って生きない日」はどうするかということになってくる。

無限の寿命があるように生きる日もあれば、

来年が人生のゴールだと思って生きる日もあっていいと思う。

大切なのは、大体の日で短めにゴールを設定すること。

そこまでの厳密さはいらないのでは。きっちりやろうとすると、気が滅入ってしまうから。

継続は力なり、というなら、あきらかに継続できないようなことは計画しちゃいけないということでは。

 

本を読むなら、毎日1冊読むのもいい。

2日1度、2冊読むのでもいいし、読んだつもりで暮らしても全然構わないと思う。

30年かけて1万冊読んだとしても、国内で毎年刊行される7万点の本すら読みきれない。

30年経てば210万点だから、0.5%も読めない。

じゃあ、読んでも無駄だなって思うのが普通じゃないかな。

 

そうしてガッカリして、一番はじめに戻る。30年毎日読んでも、約11000冊しか読めない。

このことを忘れていなければ、やっぱり焦ると思う。

こんなことをしている場合じゃないとバタバタする日が出てくる。日曜日の夜とか。

 

ところで、やっている場合じゃない「こんなこと」ってどんなことだろう。

それぞれに正解になる答えはあると思う。

それが見つかれば、人生の意味なんてものもわかるのかもしれませんね。

 

今日も「イセンの東」をお読みいただきありがとうございます。

本を読んでいると「自分の人生を生きろ」とか「やるべきことから目をそらすな」といった

マッチョな言葉が並ぶけれど、正解から目をそらしても息が苦しくならないなら、

そらし続けても全然構わないんですよ。たぶん。

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