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本を読む時間がないのは、本を読んでいないからだったりする

最もよい投資は、本を買うことだと思う

 

私がビジネス書マニアで編集者にまでなってしまったことや、「学生時代は日に3回書店を巡った」「名著のタイトルをリスト化したものを送り、注文が入ると書店で購入して売り歩いていた」という話をしますと、

「(株式や不動産など)どれを買えばいいですか?」

という話をされる方、結構いらっしゃいます。ビジネス書や経済書、自己啓発書ばかり読んでいる人というのはお金儲けが大好きで、大得意だと思われているようです。でも、残念ながら私はお金儲けが好きなわけでも、ギャンブル的な投資が好きなわけでもありません。ただ単に人間の後ろ暗い欲望や、成長したいというポジティブな願いが如実に投影され、かつ時代や流行に即応した内容の本が出てくるためにビジネス書が好きなのです。純粋に人と、紙とインクが好きなだけなんです。

 

とはいえ、そういった本ばかり読んできたので「かなり割のいい投資案件」があるということも知っています。その投資案件というのが、本を買うことなのです。

 

 

読書より小規模、安全、安心な投資先はないのでは

 

1ヶ月に1万円以上本を買う人は3%だといいます。本を読むことが大切なことだということは、半ば一般常識化しています。本当にそうかは十分な解明がなされていませんが、確かに本をたくさん読む人ほど成功しているような気もします。ここに相関があるかどうか、特に関係はないのかはとても気になりますけれども、今回はそのあたりには深入りしないことにします。本を読むことはいいことで、成功者(?)とやらは本をたくさん読む人が多いというイメージがある。それを事実とした前提で話を進めることにしましょう。

 

少し戻りますが、月に1万円本を買うのは3%です。ということは、97%の人間にその時点で勝っている、ないしは勝つための準備ができているということです。人生は勝ち負けでもないような気がしますけれど、成績上はそうなる。勉強もしない人よりする人、健康に気を使わない人よりは使う人、いいことを積み増している人は、そうしない人よりいい結果に近いと考えられます。月に1万円の出費というと、本でいえば5〜6冊です。週に1冊少々読めれば、97%を突き放し、さまざまな母集団でいわれているトップ5%のスーパーエリートゾーンに余裕をもって入ることができるのです。だとすれば、本を読まない手はありません。

 

一方で、本を読んでもダメだという人がいます。たくさん勉強しているのにどうにも上手くいかないというのです。そういった人の話を聞いていると、どうも読んでいる本の量が圧倒的に少ない。月に1冊以下だったりします。読書をしない人よりちょっとだけする人のほうがビジネスの世界で失敗する逆転現象が起こることがあるのです。私はこれを「ビジネス界の生兵法」と呼んでいます。

 

なぜそんなことが起こるのか。答えはさほど難しくありません。本に書いてある内容を十分に理解する力が培われておらず、表面的な真似をして失敗するパターン。同様にその内容が正しいのか、本当にいいことなのか判断する基準もないために心酔し、おかしなことになってしまうパターン。いままで読書経験がほぼゼロだったために本を読んだという事実を過大評価して賢くなった気がしてしまい、失敗するパターン。などがあるのです。これを防ぐには、大量に本を読むのが最短ルートです。なお、ここでは「読んだけど行動しない」という最大派閥は無視しています。これが一番多く、もったいない。

 

著名な投資家で、ひとつの案件に全賭けする人はいません。たくさんの投資先に同時に投資するのです。「タマゴをひとつのカゴに盛るな」なんていう表現をしますが、読書も同じです。一冊の本に賭けたりしてはいけません。また、彼らが投資案件を吟味するとき、少なくとも数十、多い場合は数百以上検討し、投資先の人間に会い、決めるそうです。それが一番安全で確実だからでしょう。こちらも読書についてもいえることです。数冊読んだだけで投資先にお金を出す、つまりは自分の人生を賭けてはいけません。運否天賦の博打の世界ですら賭けずに勝負の流れをみる時期、自分の感覚が正しいか確かめるためにほんの少額を賭けてみる時期というものがあるといいます。ルールを覚えたばかりでいきなり「オールイン!(全財産)」と叫んではいけません。とにかくたくさん読んで、そのなかでもとびきりいいものを見つけて、これよりいいものはないなぁ、と諦めの境地にたどり着いてからがスタートです。

 

このように読書を投資と位置付けるならば、どうしても相当の量を読まなければなりません。投資は1件で勝負するものではなく、総力戦です。ポートフォリオを組むなんていいますけども(私は投資に興味がないんですけども)、いくつも投資してそのうちの過半がコケても、一部で大勝ちしてトータルでプラスになればそれでよし。そういった戦い方をするものです。一敗たりともしたくない! というのが本音でしょうが、そのような考え方に囚われますと投資ができなくなるか、オールイン野郎になってしまいます。読書も同じで、身銭を切るのですからハズレ本は引きたくないでしょうが、引きたくないから買わないだとか、図書館で借りるなどということをやってはいけないわけです。先ほど賭場の話をしましたが、勝負の流れを賭けずに見て、次にそれが正しいか少額賭けてみるのがセオリーなのです。身銭を切るとなると、損をしたくないという頭になって、賭けずに見ていたときと思考法則が変わったりします。勝負に身を起き、自分の能力と照らす作業が絶対に必要なのです。そうしなければいつまで経っても「アタリ本」を選ぶ眼は養われませんし、読んでいても真剣になれません。そんな状態で一体どうして、ビジネスという欲望渦巻く世界で勝てるでしょうか。もちろん、ビジネスに限らないでしょう。文学でも社会科学でも、競争原理の世界に浴して生きるための読書なら、どの分野にでもいえることです。

 

(次のページでは精読は無意味?!についてお話します)

 

どんなに精読したところで無意味

 

ここまで相当量読むしかないという話をしてきたのですが、実のところ私は速読反対派です。かつては仕事ということもあり、日に3、4冊ということもありましたから遅くはないのでしょうが、速いことが偉いことだなんてこれっぽっちも思いません。速読術スクールというものもあるようですが、そこでどんなに速く読む技術を磨いたところで量をこなして自分の頭で考え、積層化した体験や知識に反映されなければ読書の価値はないに等しいとすら思っています。一方で、ただゆっくり精密に読めばいいとも思いません。学校の先生は「精読しなさい」というのでしょうが、それはそれで違うと感じているのです。

 

なぜ違うのか。ゆっくり、丹念に、時間をかけて読んだところで、その人間に引っかかる毛羽立ち、フックのようなものがなければ、これまたなんの価値も生まないからです。同じ内容を読んでも5才の子どもと60才の大人が抱く感想が違うように、人もそれぞれ感想は違う。引っかかる場所も違います。10年前に読んだ本を改めて開くと、まったく異なる味わいを感じることがあるように、その時点において自分が感じ取れるもの以上の価値は、どんなに時間をかけて読んでも受け取ることはできないのです。もちろん、1冊の本に200時間、300時間とかければ違ってくるのかもしれませんが、そんなことをするくらいならもっとほかの経験をしたり、違う本を読むことで別の角度から本の価値を照らしたり、情報や価値を受け取る自分自身の引っかかりを増やすほうが懸命です。

 

時間をかけて精読しろというのは、手抜きをするな、授業中寝るなという程度の意味であって、丹念に読み進めることが絶対に正しいという意味ではないのです。

 

 

本を読む時間がないのは、本を読んでいないから

 

人はなぜ本を読むのか。気晴らしということもあるでしょうが、ビジネス書の場合はそうではありませんよね。お金を稼ぎたいという目的があります。もちろん、気晴らしで小説やエッセイを読むにしても、気分を晴らさないと総合的に損だからという合理的な目的があるといえるかもしれません。いずれにしても、本を読むことで得をしたいわけです。得をするというのは金銭的意味ではありません。むしろ金銭的な得というのは表面的なもので、本当の得というものは時間的な得、時間の節約にあるのです。どうしてそういえるかですが、仮にたくさんお金を稼ぐという金銭的部分に注目しても、本来ならそれだけ稼ぐのに何万時間、場合によっては何度も生まれ変わらなければならないほどの時間を節約していると考えられるからです。気分的に腐ってしまって、いつまでもクサクサするという時間を節約するために気晴らしに本を読むという解釈の仕方もできるでしょう。

 

ということは、読書に使う時間は時間を消費のではなく、むしろ時短に役立っているとすら解せます。ここまではよろしいでしょうか。だとすると、ですよ? 「本を読め、読めといったって、読む時間がないんだよ」といっている人たちは根本的に間違っているということになりませんでしょうか。つまりは、本を読んで人生単位で時間を節約しないから、いつまでも忙しいし、本を読む時間もないのです。本を読む時間がないから、非効率的に生きているから儲からず、いつもストレスを溜めているのかもしれないのです。

 

逆説的な話ですが、けっして鶏が先か卵が先かという話ではありません。順序としては、本を読まないから、本を読む時間がないのです。読書が先、時間は後です。「読む時間がないから、読書をしない」では一生、読めないということです。実のところ、人生などというものは、ここに気づくかどうかなのかもしれません。そう考えれば、月に1万円以上本を買う人間が3%しかいないこともうなづけます。誰もが常識的に、時間が先、読書は後だと思い込んでいるからです。気づいてしまったなら、もう後戻りはできません。さあ、そんな呪縛からはやいとこオサラバしてしまいましょう。

 

 

 

まとめ

 

ある人は読書を投資としてみるならば、ときに投資額の10000%も稼ぎ出す金脈だといいました。もっとわかりやすく、本の代金の100倍返ってくる投資という人もいます。これを聞けば、よこしまな感情が湧いてきてなんとなくやる気が出たかもしれませんね。2000円の本を買えば20万円になる可能性を秘めているということですから。そこまでいかずとも2万円になる可能性はさらに大きいわけですよ。俄然、乗り気になったのではないでしょうか。

 

さて、ここで残念なお知らせがあります。年間数十万円は本の代金に投資している私。常時蔵書が3000冊を超える蔵書クラブ「三千世界」の人間である私は、貧乏暇なしです。年間50万円として、100倍になるなら年収は5000万円超でなければならないはずなんですが、おかしいですよね。ガッカリしましたか?

 

でも、私がお金持ちではないのは、お金を稼ぐ目的を持ってゴールに向かって本を読んでいないためですから、例外の異常値です。その点、心配いりません。ビジネス書を読んでいたと思ったら、歴史書や地形図を開き、ライトノベルや漫画を睨んでは脳科学や海外のボディメイクサプリメントの雑誌を取り寄せる……。字が書いてあればなんでもいいのです。ビジネス関連の本に飽きたら、その疲れをまったく違う本で癒すような無軌道者ですから、こんな人間は特殊です。みなさんが明確な目的を持って本を読めば、その努力はかなりの確率で、少なくともインフレで持っている資産が目減りしたり消費税の増税で相対的に価値が下がったりするのを補うくらいのプラスにはなるはずです。

 

もっとも、年に500、600冊と本を買えていること自体、収入がある証ですから、こんなノーフューチャーな読書をしている人間でも、本に投資した分はしっかり戻ってきているといえるのかもしれません。やっぱり読書は一番いい投資案件なんですよ。

 

 

 

 

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