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北條民雄『いのちの初夜』

病という耐え難い情けなさを歩く

傷病小説を味わえるよろこびと

 

北條民雄作品に底流しているのは、甘えの構造です。夏目漱石などでもそうですが、本人のいたらなさをひけらかして、同時に深く恥じつつも、だからなんだよと開き直る。それが純文学的病人小説です。このような構図は、どうしても健常な折にはまったく響かず、相当に痛い目をみてきたか、老境に差し掛かって死を覚悟したときにやっと理解できるものであったりします。ですので、いきなりこのような作品に親しむということは難しいでしょうし、なにより文芸を楽しもう!とポジティブにやってきた人間に「ハイ、どうぞ」と与えるべき作品でもないでしょう。

 

私自身、全身の激痛、半身不随、失明(視力低下)、治しては壊れるカラダ相手に足の指まで加えなければならないほどのリハビリを繰り返し、やっとこういった作品を受け止める準備ができたくらいで、「湿っぽい作品なんざ読むに値しない」「情けないことをいってんじゃねえ」とつい最近まで思っておりました。ただ、どうにもならない病とがっぷり四つに組めるようになると、今度は気丈に突っぱねていた自分のほうが、むしろ幼かったことに気づくのです。それらは現実を受け入れない子どもじみた行動だったと反省するようになる。しかし、ちょっとでも症状が安定してくると、またぞろ「いや、病を受け入れて闘病するなんて情けない。一切許さず、完膚無きまで打ち負かす」というきもちがおこって強い自分を演出したくなるのです。そういう揺蕩、ヨッパライの千鳥足のような精神が作品中に垣間見られ、まるで鏡のようだと顔を赤くするのがこういった傷病文学のおもしろさであり、見どころなのだろうと思います。

 

表面的なグロテスクさや、不治の病の現実、それを際立たせる美しい風景描写すら、付随的なものでしかないのではと思えてきます。作中で佐柄木が語るセリフは「強くたくましい自分」を演出したい著者の思いを反映した分身で、主人公の尾田については「弱く情けない本性」を表す分身で、そこをフラフラと歩く著者自身の姿が見えるところに本作のよさが詰まっているのです。

 

いまあらためて思うに、このような「情けない小説」「痛ましい小説」を味わえるということは、なにを置いても自らが情けない身の上にあるからであって、人間到る処青山ありと申しますか、ひとつところ、ひとつの価値観だけではないのだなあと感じ入る次第です。

 

 

いのちの初夜:蛇足解説

 

本作のタイトルは川端康成が直したとされていて、原題は『最初の一夜』でした。流石は当代随一の小説家としかいいようのない改題で『いのちの初夜』とロマンを感じさせるものにしています。いのちに焦点を当てている作品のテーマにも合致しています。タイトルだけで宇宙のような広がりを感じたのは、幼いころに目にした星新一の『夜のかくれんぼ』以来ですね。いや、私が単に夜という雰囲気が好きなだけかもしれませんけど。

 

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