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書斎ではなく、書庫を建てる

理想の書庫の考え方

本を読む場所でも、保管する場所でもない、本が主役の家

 

書斎を持つことが夢だという方がおられます。ただ、私は本を読むための場所、保管する場所としての書斎・書庫については否定的です。というのは、こういうキッカリとしたものを構えると、人間途端に読むのを辞めるからです。義務になる、仕事になるといいますか、そうなると読書のワクワク感がなくなってしまい、本は買うけど読まない(書庫に収められるだけ)、書庫にすら並べずそこらじゅうに置くようになる、最後には買わないへと変化していくのです。

 

まさかと思われるでしょうが、怪物じみて本を読む、万単位の蔵書を持つ先人たちや、仕事で読まざるを得ないビジネスマン、ひいては作家ですら、書庫を持つと本を読まなくなるといいます。私自身、本を書庫(倉庫)にしまい込みますと、どうにも読む気が薄らぐのです。松本清張氏もそういっておられたようですから、本というのは日常のなかにあって、互いに顔を見せあっていなければ仲良くあり続けることはできないものらしいのです。

 

書斎、書庫というものは夢ではありますが、同時に夢でしかないのです。私の経験上、まったく実用には向かないため、自宅の一角につくることはオススメしていないのです。どれくらいオススメしないかといえば、家を建てたり、直したりするのが仕事だったころから変わらず「やめたほうがいいですよ」というほど、採算度外視でオススメできないのです。

 

読書は崇高な行為であるように思えますが、気のせいです。情報を得るための方法でしかないのに、紙に印刷してあるからすごいと思うだけの話なんです。情報を得るのが目的なら、断然電子書籍や人から話を聞く、それを動画かなにかにして保存しておくほうがずっと便利です。場所も取らない上に検索しやすく、コストも安いですから。紙になっているからすごいというのは勘違いです。ここは元編集者の本領を発揮させてもらいます(どうでもいいことですが、家を建てて売る、元編集者って珍しいですね)。

 

崇高な行為だ、高尚な文化活動だと思って本を読んでいると、辛くなってきませんか? そのうち足が書斎に向かなくなって「もっと気力が充実しているときに本を読もう。だからいまは読んじゃダメだ。読まないほうがいいんだ」などといっては読書を忌避しだします。これが最悪の展開です。ここまで極端でなくとも、読む本の世界が狭まります。しゃちほこばって、バカバカしい娯楽本を読まなくなります。読んではいけない気がしてきて、いつも同じジャンル、同じ論調の本ばかり買っては読むようになる。同じ内容を違う人が言い換えているだけなので、スラスラ読めてきもちがいいでしょう。でも、目の瞳孔が凝り固まって、筋肉にも脳にも「しこり」ができ、化石のような頑固文化人になります。自分の不明を晴らすのが読書の主たる目的で、自分にないものを取り込むためにお金も寿命も使っているのに、これではなんのために本を読んでいるのかわかりません。

 

万全のコンディションで、最高に頭が冴えているときに、満を持して書斎に踏み入る……なんて、読書の上では害悪でしかありません。そんな日は年に何度もきやしません。稼働率が10%以下などというスペースを自宅に構える意味がないでしょう。

こういった理由で、あなたが本が好きなればこそ、中途半端な形で書斎や書庫を持ってはいけないのです。

 

 

それでも欲しい、本の部屋

 

とはいえ、私自身、事務所や倉庫にうず高く本が積まれています。過去4度の引越しで4桁単位で本を処分しているのに実家も占領しはじめていますから、本好きの業というものは根深いものです。また、常に本の顔を見ていないと、なんの本を買ったか、読んだかを忘れてしまいますし、ちゃんと並べて、同棲したいというのが集書家の願うところではあります。

 

そこでやっぱり書斎や書庫をと考えるわけですけれども、明るくポップな本屋さんのようなところがいいのか、図書館のような管理を重視した雰囲気がいいのか、明治の文豪の家のような環境か、それとも欧米の作家のようなデスクスタイルか。形のこだわりは好き好きで構いませんが、書斎や書庫を持つと決めたあなたに家族がいるなら、十分に配慮しなければなりません。奥さんの趣味の部屋もないのに自分だけ書斎を持つなどナンセンスです。家族内の不和が書斎に取り込まれ、本にまでネガティブなイメージが染み付きます。書斎をつくるなら、家族全員に趣味の部屋を与える覚悟は必要です。共用の娯楽室でもいいでしょう。なんらかの手は必要です。

 

もっとも、私のように伴侶がいなければ、そのあたりは自由です。家を建てるというと、ついつい家族ができてからのものだと思い込みがちですが、私はそんな固定概念は捨ててしまっていいだろうと考えています。自分ひとりだからこそ、家を建てることができる。本当に好きな形の家を建てるチャンスは、ヒトリモンの特権でもあります。常識で推し量ってくる連中がなんだというのですか。他人の許可が必要ならば、私が出します。どうぞ、あなたのお好きなようになさってください。

 

さて、自分の好きなように家を建てると考えたとき、本好きとしてはどういう家の建て方があるかですが、先に述べました通り、書庫や書斎のように、本をしまい込む部屋をつくってはいけません。本とは同棲するものです。ということは、本のためのスペースをこしらえるという従来の発想から脱却する必要がありますよね。どう脱却するかですが、つまりは本が主役の家にするのです。本が館の主人。本に包まれる世界に、間借りして暮らす。こういう家を考えることにします。

 

本というものは案外重量物でして、天井まである本棚に四六判の本をぎっちり詰め込むと、大抵本棚2棹ぶんでグランドピアノ1台分の重量があります。それが壁一面となれば、もはや普通の構造物では不安です。新築で二階に書庫をこしらえるという人もいますが、私はまったくおすすめしません。二階まで本棚が必要なら、一階とあわせて吹き抜けにし、二階の部分は本棚に沿ってぐるりと通路だけにするといった設計を考えた方がいいでしょう。6畳間でも部屋一面が本棚となれば、力士10人ぶん。常に無理をしている状態になりますし、地震の多いこの国では、特に向きません。太陽光発電(300kgくらい)を搭載するならなおのことです。二階に設置は原則NG。本当に配慮するならば、基礎工事から柱の太さまで、ガッツリ重量物対策をすべきですね。あとから本棚を持ってきて置くというのもいけません。本棚自体も数十kgの重みがありますから、理想は躯体と一体化した造り付けの本棚で仕上げてもらうことです。

 

詳細を挙げればきりがないので、専門家との相談ということになりますが、相談するにしてもやっぱり本のことがわかっている人でなければ難しいんですよね。平たくいえば、本好きが抱える「本のヤバさ」というものが、読まない人にはわからない。設計士によっては、プロだから大丈夫だろうと任せきりにしてしまうと、以下のようなウォールシェルフをちょこちょこくっつけるだけなんて場合もありまして、絶対保たないだろ! という場合さえあります。

 

本の業を知っている設計士や住宅会社と二人三脚で進めるのが吉、とだけ申しておきましょう。つくづく集書家の業というものは深いと感じますね。

私自身、これが現時点で実現可能なベターな「本の家」というものを常に考えておりまして、ひとつ形にしてみたいと目論んでおるところです。もし、すでにこれが私のベストだ! という家を建てられた方がおられましたら、ぜひお知らせくださいませ。