Viva 田舎

地方だからできること

徳島県でちょっとだけ目立つようなことをする

もちろん、人の迷惑にならない範囲で。

はじめに:なぜ若者は故郷を離れるのか

人口減少は止めがたい。でも人口流出は止められないか

 

若者が故郷を捨ててしまうのは、仕事がないからといわれますが、それは半分正しく、半分間違いです。故郷を離れる理由はなにも仕事に限りません。おもしろそうな場所、おもしろい友人がいない(いなくなる)から。つまりは閉塞感であり、「明るい将来が見通せない」からなんですね。そのなかに、仕事がないというのも含まれるだけです。

ただ、理屈や分析がどうあれ、地方において最大の懸案は若者の流出であることは間違いありません。かくいう私も長い間東京へ「流出」していた人間ですから地方の代表みたいな顔はできないのですが、半分地元、半分ヨソ者の視点で、若者の人口流出を止めるためになにができるかを考えてみようと思います。

 

 

有名大学がないから地方に残らない問題

まず、最大の理由はすでに挙げた、将来が見通せないということです。将来なんて見通せないのが当たり前なんですけど、少しでも見通しがよくなるように若者は大学へ行きます。有名な大学があれば、優秀な若者は維持できたり、呼び集められる。それはわかります。でも、有名大学なんて一朝一夕でできるものではないですよね。わかっていても、どうしようもない。私自身、個人的に人文科学などを学んだり、文学や芸術を楽しむグループのようなものを地方に設置して、人文都市を徳島につくってやろうという野望を持っているのですが、話はそう簡単ではありません。ですので、大学をどうにかするというのはいまのところナシです。県内にすでに存在している大学様にがんばってもらいたいと思います。優秀な学生がいれば、大学側から地域企業へ斡旋してもらうというようなパイプ作りはしたいなあとも思ってはいるんですけどね。ここは基本的にナシということで。

 

田舎には仕事がない問題

次に、仕事がない。これは意外とどうにかなります。自分で創ることもできますし、そもそも人手不足でどこもかしこも仕事が余ってます。だからこそ地方にいる理由がなくなっちゃうんですよね。あまり突き詰めてネガティブに考えてもダメでしょうけれど、田舎も都会も人が足りないなら、より給料のいい方へ流れます。これはもう仕方がないところです。あと、最近の若者は車を持ちたがりません。大学進学が決まると、従前のように自動車免許を取りません。私なんかは昭和の人間ですので、高校卒業の翌日(じゃないと免許取っちゃダメだったんです。富岡西高校は厳しかった)に教習所に駆け込み、20数万円納めたことを思い出します。……20数万円ですよ。これから大学の入学料に授業料、引っ越しに加えて家賃や仲介手数料が要るというのに! やっぱりかなりの負担ですし、卒業から大学入学までの長くて数週間、場合によっては数日という限られた間で免許を取るのは難しいですから、夏休みに帰ってきて取ることになります。都市部の子たちは1年の夏休みを満喫している間に、自分は田舎の教習所……。まあ、都会の教習所という手もありますが、都会にいたら免許なんていらないわけでして、じゃあ、高いし、免許も車もいらないや。車はローンと維持費で毎年50〜100万円もかかるしね! って合理的に切り捨てちゃうんです。

こうなると、都会で就職して、もう帰ってきません。なぜって、田舎の就職には免許が必須だからです。

 

また、都会は家賃が高くても車を持たないならトントンです。よく都会は物価が高いからという話が出ますが、総じて支出を見た場合そんなことはないんですね。満員電車に揺られる根性が要るということくらい。じゃあ、勝ち目はないのか。どうしようもないのかというと、そうでもないと思います。できることからやりましょう。できることというのは、車がなくてもいい街づくりはできないかを考えてあげることですね。戻ってきて欲しい、出て行かないで欲しいと思うなら、好条件を出すしかないんです。恋愛でも、プロスポーツでも、買い物でも、条件のいいほうに人は流れます。悪い条件提示のままで、「出て行くなんて裏切り者め!」なんていっても事態は改善しませんし、むしろ一層「こんなとこ嫌い」と思われるだけです。車がなくても生活できる街の仕組みを考えましょう。例えば、列車やバスに自転車を積み込むのが普通の街になるだとか、どこに返してもOKなシェアサイクリング、シェアライドを市内、県内のいたるところに設置するとかですね。健康志向の高まりもありますから、簡単ではなくとも可能性はゼロではないと思います。

 

そのうち公共交通機関が自動運転になれば免許もいりませんし、この点は自動的に解消されそうですけどね。となると、解消されたときに選んでもらえる魅力的な地域になっておく必要がありますけどね。いまからそこまで見据えて、どんどん変われる自治体になっておくべきなんじゃないかと思います。

 

田舎には遊び場がない問題

これは徳島においては深刻です。いまの若者は、かつてほどアルコールと博打に興味がないと聞きます。かくいう私もそのひとりです。もっとも私の場合はアルコール不耐症で、タバコの煙を吸うと目がチカチカするからなんですけどね。化学物質に過敏なのかもしれません。難儀な体質です。それはそれとして、徳島は日本で一番娯楽施設がないそうです。当然、退屈ですよね。子どもに対して外で遊びなさい! という大人もずいぶん減ったそうですけど、そういう大人もまた、外で遊ぶ場所がないんですね。職場と家の往復や、休日ずっとスマホやパソコンを眺めているだけでは、やっぱり満たされないところがあるんです。かといって日常的にアウトドアを思いっきり楽しめる場所というものもあまりないですし、刺激不足で都会へ流れてしまうのかもしれません。

 

私は本とネットさえあれば何年軟禁されても平気なタイプのネクラ人間なのですが、社交性の塊の人たちからすれば耐えがたいのでしょうね。そこで、考えたわけです。有名大学の誘致は難しい、大企業もすぐにはこない、一番手をつけやすい人口流出対策は、大人が遊べる場所をつくることじゃない? と。繰り返しになりますが私はネクラ人間なので、何十、何百人という人間を集めていろいろするというような場所は創れないのですが、ネクラ人間らしく、本だけは大量に持っています。あと、ひとりで釣り糸を垂れるのも大好きです。ここを足がかりに大人の遊び場をつくって、あわよくば雇用創出や環境保護を通じて地域経済の好循環を産めやしないか……。そのひとつが「じんぶんラボ」であり、「ダム湖を活用した環境保護と遊漁事業」なのです。

 

循環型地域創生のために

 

地方の循環型社会、地域創生は、自然(アウトドア)と文化(インドア)の2本柱でいくべきです。これは都市部にはない強みです。都会は自然がない代わりに、生活のしやすさや充実が極限まで高められています。当然、地方でそれに挑戦しても勝てません。一方、一切なにもない手付かずの自然を売りにするというのは、一般的な地方では不可能です。人がいて、なおかつ都会ではない。そんな「中途半端」な地方だからこそ、中途半端を活かした戦略を取るしかないわけです。どっちつかずではなく、どちらもできるという中道を車の両輪として突っ走るのです。

御託はこの辺にしまして、私が個人的に手がけたいと考えている事柄について、文化と自然、それぞれ1点ずつ企画を紹介します。

 

 

文化面『じんぶんラボ』

先ほども触れましたが、じんぶんラボについては簡単な話です。家と職場以外に、居心地のいい「第三の場所」、英語ではサードプレイスというそうですが、こういうものをたくさん用意することです。大人になると友達が減ります。昔はそんなことはなかったんです。なぜって、いまほど忙しくなかったから。これはヘルマン・ヘッセが100年近く前に『人は成熟するにつれて若くなる(草思社)』という本のなかで、「いまは忙しい。あなたのおじいさんの世代は、なにかしようと思って忙しくてできないということはなかったはずだ(意訳)」と、こんな話をしていました。80年ほど前に、50年くらい前の話をしているわけですから、ざっくり1870年ごろでしょうか。日本だと、明治になったばかりですね。当時は近所付き合いも(嫌々ながらも)できたんです。いまはそんな余裕はありません。結果、大人になると交友関係が狭まり、職場の人間と四六時中顔をあわすのも嫌だし……となって、田舎ってつまんないよね……と活力が失われるんですね。

これはもったいない。社交的な人で、お酒を飲むのが好きならそんなこともないかもしれませんが、お酒も飲まない、というよりも、地方でお酒を飲んだら車が運転できないので帰ってこられない。だから外に出歩きたいとも思わないとくると、ちょっともう、家以外に居場所がないんですよ。本当であれば、いろんなところで文化活動や余暇活動、刺激を受けて仕事にも身が入る! という好循環を産めるかもしれないのに、「なんだか、つまんない」まま年を重ねていく。都会にあって、田舎にないのは、こういう多様な人間を取りこぼさない刺激ある「第三の場所」の有無なんです。そこに住んでいる人のポテンシャルはさほど変わらないと思います。違うのは、刺激です。新しさというか、やるぞ! と思える環境ですね。これさえあれば、地方はまだまだ輝けると思うんです。私は徳島文学協会という会に参加させていただいておりますが、こうした会もまた、地方に新風を吹き込むと思ってのことです。事実、とてもすごい風を吹き込んでくださっています。芥川賞受賞者が文学賞を選考したりしておりますしね。

 

そうそう。ヘルマン・ヘッセって誰だよ? というかたは『少年の日の思い出』といえば思い出すかもしれません。友人が大切にしていた「クジャクヤママユ」という蝶(本当は蛾なんですけどね)の標本を盗んで壊してしまうアレです。戦後間もないころからずっと教科書に載っているので、日本のほぼ全世代が目にしたことがあるはずです。大人になって読むと読後感が全然違ってくるので、よろしければこの機会にどうぞ。と、こんな話をしたりだとかできる場所を提供するのが「じんぶんラボ」です。人文科学や郷土史の話をしたり、ときにゲームなどをして、地域の結びつきを生み出すこと。そこから地域の活力を生み出す場所です。ま、つまるところ小難しい、私のようなネクラ人間が楽しく過ごせる場所ってことです。そういう場所が1つ、2つ、あったってバチは当たらないと思うんです。

 

自然面『環境保護と観光の両立』

地方創生という話になりますと、まずこちらの話題が先行すると思います。私もすでに動き出しているのですが、徳島県の阿南市内で「外来魚の回収と活用」によって、環境保護も経済もまわして、かつ余暇活動まで充実させちゃおうという一石三鳥、四鳥の企画が進行中です。現実にはそう簡単ではないので、1つずつ丁寧に問題を解決していくつもりですが、これを成功させて、県南地域、県北、四国……と広めていければなあ、と考えているところです。詳細についてはあまりに長くなるので省略しますが、多くの河川や湖沼にいる外来魚を殺処分という駆除ではなく、なるべく回収して一箇所の水系に放し、そこで釣りをしてもらって遊漁料をいただく。フィッシングリゾート(車中泊やオートキャンプ場)をつくろうというものです。ここでの収益金で外来魚を適正に管理して、環境を保護します。また、回収に際してどうしても死んでしまう魚が出てきますから、それらは堆肥などにして、地域の農林業に活用します。農林業から出た野菜クズや端材は、畜産業や燃料として利用する。畜産業から出た糞などは堆肥として……そんな好循環を生み出したいと考えているのです。これならお金や物品といった形で成果物が発生しますし、単なる環境保護という美しいスローガンでなされる活動より多くの人が参加しやすく、持続可能だと思うんです。ちゃんと稼げて、仕事になって……でないと、雇用も文化も人の定住も起こりませんからね。お金との関係を一切断った、キラキラ輝く理想の自然保護というのは、実際には難しいのです。

 

蛇足なんですけど、お金は汚いもので、環境保護は美しいものなのだから、ふたつを混ぜるようなことをするなって怒られたことがあります。汚らわしいって。でも、お金が汚いといいながら、毎日お金を出して買い物をしてますよね。本当に汚いと思うなら、稼がず、使わない生活を実践しなくちゃいけないと思うんですよ。いってることと、やってることが違うと、嘘つきってことになっちゃうんじゃないかって。ですので、私はお金をいただきますし、使います。批判はあると思います。清廉潔白であることをよしとする精神は理解できます。でも、お金を嫌って遠ざけて、いつまでも目的が果たせないくらいなら、ちゃんとお金がまわるように工夫して、人の欲でもなんでも活用して、よりよい環境と経済、地域創生を実現する方を選びます。私は欲張りなので、理想と実益があれば、実益を取ります。もちろん、実益というのはお金じゃないですよ。環境保護と地方創生のほうです。お金はその次です(ここが大切です。お金一切要りません!じゃないんです。私もご飯は食べたいので。夢をぶち壊してすいません)。

 

純粋に環境保護団体を立ち上げたほうが人も集まってくれそうなのに、どうして「人間の汚い部分」を見せてまで、面倒臭いことをしてるの? と思われたかたもいらっしゃるかもしれません。どうしてこんな回り道をしているのかですが、それは、外来魚にだって命があるからにほかなりません。

外来魚にも命があるんです。それを「要らない命だから殺しましょう」と、あなたは子どもにいえますか? って話なんですよ。私はとてもいえません。外来魚や外来生物は食料として「要る」から連れてこられ、「要らなく」なったら環境に悪いという理由で殺してしまうだなんて、ちょっと勝手が過ぎるだろう、と。

 

こんなことをしたって人間は動物や植物を食べる生き物ですから、私に罪がないわけではありませんし、許されることもないでしょう。でも、要らないから殺せというのは、環境を保護したいと思っている人も、外来魚を釣る愛好家も、総じて心理的負担が大きいと思うんですよね。多くの場合、受け入れがたい。結果、外来魚は野放図に移殖されたり、あちこちで釣り人とトラブルになったりするのだとしたら、「環境保護の殺処分派」「釣り人のいままで通り派」が、どこかで落とし所を見つけて、双方に100点ではないけれど50点は出せるような回答をしたいのです。当然、正解ではありません。正解ではありませんが、現状より少しでも前進するなら、しないよりはマシだろうと思うのです。放っておけば環境は壊れ続けるかもしれませんし、ある日突然、釣り禁止になるかもしれません。これは釣り人がもっとも恐れるところだと思います。釣り禁止、完全殺処分となれば、溜飲を下げるかたも多いのかもしれませんが、以前として外来魚は水系に残るんです。また、外来魚のせいではない形での環境破壊が原因で、水系の生物が減少していたとしたらどうでしょう。外来魚を殺して満足しているうちに、激変という事態も防ぎたいわけです。こういった調査も予算がないなどの理由でほぼなされていません。定点観測をしている地域河川なんてほとんどないはずです。

 

細かい話になりますが、最近ザリガニ見なくなったでしょう? あれは農業関係者の努力もあるんですが、外来生物のミドリガメ(ミシシッピアカミミガメ)が増えたからだと聞きました。近所の小河川や沼なんかを見に行ってみてください。岩や護岸の上で鈴なりで甲羅干ししていますから。ミドリガメは祭りの屋台で買うものでしたが、あれが大繁殖して、岸辺に穴を掘って住むザリガニを主食としているんですよね。もともと同じアメリカの出身同士ですからね。外来魚はカメを食べられませんが、カメは魚を食べますし、外来魚は鳥にも狙われる一方、カメは鳥には……大繁殖するはずです。でも、こちらを問題にする人っていませんよね。人間の偏見や至らなさで、本当に守らなければならないものを守れないなんてことだけは避けたいものですね。

 

漁業関係者を除けば、一番水系に詳しく、外来魚に触れるのは釣り人です。彼らの協力を得ない手はありません。私も釣り人なのでわかりますが、本当は自然のままで釣りがしたいですし、堆肥になんてしたくない。でも、もっとも恐れている事態(釣り禁止・再リリース禁止)を前にすれば、考えてもらえると思います。水系の理解の深い両者、および漁業関係者が、主義主張を超えて環境保護に踏み出すための仕組みとして「外来魚の管理と遊漁化」を実現させたいのです。今後、活動への協力や署名、寄付等を受付ることもあるかもしれません。それはもう少し先になるかもしれませんので、まずはこのアイデアにご賛同いただけるかたは、拡散等していただけると幸いです。そのなかで問題点なども見えてくると思いますし、機運の高まりで様々なしがらみや法律が変わっていくかもしれません。どうぞよろしくお願いいたします。

 

たくらむ力で、世界をもうちょっとだけおもしろく。

まとめに替えて

 

長々と書いてしまいましたが、そろそろおしまいにしたいと思います。

私が願うのは、地方には地方のやりかたがあって、

そこに特色を持たせることで人口が減っても、まだまだやっていけるということです。

一方で、いままでどおりでいることが、一番のリスクだと思います。

ちょっとだけ努力して、ちょっとだけ風変わりなことをする。

「たくらむ力で、世界をもうちょっとだけおもしろく」

私のモットーですが、たくらむだけでは世の中は変わりません。

一緒に動いてくれる人、応援してくれる人、

妙なことをしていても見て見ぬふりをしてくれる人が必要です。

皆さんの力と声を貸してください。

重ねて、お願い申し上げます。

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なんかすごい胡散臭いオジサンに見えますね。この写真……。

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