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なにも生み出さない業種は仕事じゃない?

根強い非生産=悪玉論

 

古い経済学の考えでは、なにかを生み出さない以上、それは仕事ではないというものがあります。しかし、これは大きな誤りであるといわなければなりません。

 

反証と挙げるなら、警察。

警察官は別になにかを生産しているわけではない。では、悪なんでしょうか。悪からもっとも遠い位置にありそうな警察官が、生産していないから仕事をしておらず、悪ということになってしまう。滑稽ですよね。

 

警察官は治安をよくするというサービスを提供しているわけで、これは古くより大切なものです。自警団や軍隊といった形で、大昔から存在している「仕事」なんです。兵士は人を殺めたり、ものを壊したりするだけで、非生産部門の典型ですけど、なくてはならない存在です。駐屯するだけで食べて飲むので、存在そのものが破壊と消費なんですが、警察官同様に居てもらわないと困ることがあるサービス業なんですね。

 

こうして見ていると、モノを生産していないから悪だということはいえないと気づきます。彼らサービス提供者は、モノを生産する人を間接的に助けることによって、生産しているわけなんです。

彼らがいなければ生産者は自ら悪を取り締り、街を守り、犯罪者を裁く(裁判官もサービス業です)必要があって、とても生産に専念できない。そういう負担を「代わりに」「専属的に」やってくれているだけなんです。つまり、高度な分業なんですよ。日本も昔は兵士は農民でしたでしょ。戦があるときだけ甲冑と槍を持って行くのを、常設したわけですよ。専業にしたほうが効率がいいからです。

 

で、いまコロナ禍にあって苦しい立場に置かれ、また世間からの風当たりの強いサービス業なんですが、程度問題はあるとはいえ、私は堂々としていても構わないと思うわけなんですね。サービス業は、生産を手助けしている業種であって、非生産ではないんですから。同じ生産者なんです。

 

それが仮に一杯飲み屋のおでん屋台でも、娯楽産業でも同じです。そうしたものがなければ、生産者は自らそういった娯楽や、食事づくりに携わらなくてはなりません。これは大きな手間です。酒が飲みたいからって自分で仕込むのか、蔵まで買いにいくのか、ということです。飲み屋で飲めばいいでしょうし、コンビニで買えばいいのです。効率的なんですから。

 

レジャー産業でもなんでも、時代に求められて存在していたのですし、なにより仕事というものはドンドン効率化されていき、生産性が高まり、富は行き場をなくして積み上がっていくものなのですから、第三次産業が発展するのは当然で、かつ、高度化された現代だからこそ、昔のような気晴らしでは足らず、スポーツ観戦やライブといった刺激的なものがなければ心を癒せなくなってきているわけです。

 

時代が苦しくなると、すぐに槍玉にあげられる娯楽産業やサービス業なんですが、実態としては立派な社会を支える「間接生産業」なんです。

会社でも経理はなにも生産していない、人事は無駄なことをしていると、営業や現場から声があがることがあるかもしれませんが、経理や人事、事務職の仕事を自分がやるとなると、お客様のところへは半分も通えないでしょうし、現場に張り付いていられませんから生産量もガタ落ちするはずです。アダム=スミスの国富論のアレですね。

 

自分がやるべき仕事を、誰かがやってくれているから、いまの生産性を維持できているのであれば、非生産部門と呼ばれる人や仕事の存在への認識は改める必要があります。サービス業をいじめて、この世界から消し去った結果、すべての仕事を自分でやらなくてはいけなくなったら。

あなたの暮らし向きはいまのように豊かではありませんよ。きっと。

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