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会社は誰のものか?について

会社は誰のものかという問い

 

私は会社は誰のものか、という問いに対して明確な答えを持ちません。というのも、そんなことを明確にする必要があるのかと思うからです。誰のものか明確にすれば、必ずや経営が成功するのでしょうか? この世の中には学校の勉強のように答えがあるわけではありません。あるときは同じ経営手法を取っても成功しない場合があり、またあるときは成功することもある。リーマンショックでズタボロな時期に、堅調に業績を伸ばした企業があるように、正解も常識も通用しないのがいまの時代なのです。

 

また、いまの時代、白か黒か決めたがりすぎるとも思います。

会社が株主のもの、起業者(社長)のもの、社員のもの、地域や社会のもの……だとハッキリ決まったとして、一体、誰が得をするのか。そんな白か黒か決めて、なにが楽しいのかとも思うのです。

 

いちいちすべての事例を扱うわけにはいきませんが、会社が株主のものであるならば、株主が鬱陶しいと思ったら、社長以下別会社を起こして出ていけばいいことです。実際にはそういうわけにもいきませんが、仕事を辞めることはできるわけですよね。同様に社長が気に入らないなら社員は会社を辞めて別にはじめればいい。社員が気に入らないなら入れ替えればいい、地域が気に入らないなら……。

 

誰かのものだと決めてしまうということは、自分のものじゃないと決まってしまうことでもあります。そうなると、自分のものではなくなった側は、どうにもいい気分ではないはずです。そんなことを決めて、勝った負けたといいあって、ビタの一文でも得するのかと思うのです。

 

私は、会社はみんなのものだと考えています。「おてて繋いで仲良くゴール」的発想ではありません。事実、みんなのものなのです。「この会社は自分のものだ」と信じてやまない連中が、会社に対して体力や寿命を投資して、そこから利益を得る装置なんです。ですから、みんなが主体的にといいますか、「自分のものだ」と思う共同幻想のなかでしか効率的に動かないのです。自分のものじゃないと思った途端、仕事をする気がなくなるでしょ? それってつまり、装置として意味をなさなくなるってことです。だとしたら、「誰かのものだ」なんて決めちゃいけないってことです。

 

どんなにがんばって働いても、自分のものじゃないからといって独立する人がいますが、そうやって独立する人は、「誰かに支配されるのは嫌だ」と思って独立したのに、独立したことが逆説的に「会社は自分のもの」という規定をつくり、「会社は社員・株主・地域のものではない」という結果を生むのです。

 

誰かのものかどうかを考えるということは、一見して人権派というか、社会的に優しい人のように思えますけれども、実態は真逆で、自分のものじゃないだとか、自分のものだとかいう白黒をつける考えを抱いている時点で支配・被支配構造のトリコなのです。当然、わざわざ被支配側になろうという人はいませんから、怒りの声をあげて独立すると、その瞬間から支配側になるんですね。

 

私はこんな不毛な争いに参加するつもりはありません。会社は誰のものかといえば、みんなのものです。支配・被支配の権力闘争に振り向ける寿命と体力があるならば、もっとみんなのものの会社に振り向けて、みんなをよくしていきたいと思っています。

 

夢みがちな絵空事でもなんでもありませんよ。そういうふうに思えなければ、組織はまわっていきません。人生は短いんです。マウントの取り合いなんてやっている場合ではないのです。

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