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読書の足跡を求めて 〜痕跡本の世界〜

読書の足跡、痕跡本

 

私が電子書籍関連の仕事をしていたころ、2009年〜の電子書籍元年なんていわれたころですけど、どうしてもやってみたいことがあって、アプリ(当時はブックリーダーでした)の開発までやるなら搭載してくれい! と声高に叫び、頼んだものがあります。

 

一体なにを頼んだか。それは、読者による読書の痕跡を残す機能です。電子書籍だからできる場所や物理的制限を越えた「共有」という発想のためにも、紙との差別化のためにも、個人的な欲望のためにも必須だと考えたからです。

 

 

古本のラインマーカーは、読者の残したルミノール反応である。

 

私は原則として古本を買いません。古本を買うときは、

  1. 絶版ないしは入手困難(プレミア価格含む)
  2. 初版や表紙のデザインが違うといった変化を見たい
  3. 読書痕跡を拾いたい
  4. かつて新品で購入した本の再購入(これは稀で、大抵新品で書い直します)

 

という場合に限るようにしています。特に3つめについては自分でも随分と変態だと思うのですが、古本でしか味わえないものなので、検品の甘い新古書店などに行くときなどは特に期待に胸を膨らませる要素になっています。

 

これと電子書籍がどう絡むのか、ですが、電子書籍に書き込みや線引きなどができ、それを共有したり、販売したりできるような仕組みをつくって欲しい! といったのです。実際の出版・開発会議はAmazonや楽天、Googleなんかがイイカンジの製品を出すだろうから、そういうのは当面見送ろうという結論に達してしまうわけですが、きっとおもしろいことになるだろうにな、有名読書家の読書遍歴や注釈が副教材のように但し書きされたり、マーカーで線引きされた箇所がビッグデータになって、売れる本をつくる参考になるだろうにと思っていたのです。当時は本を書くのではなく、作って売るプロでしたから、商材としての視点が入り込んでいましたが、それ以前と現在は純粋に本に残された痕跡、残滓を楽しむ方向へシフトしてきました。

 

古本のラクガキを見れば、前の持ち主の思考がわかる。そこから妄想が捗り、知識が深まったり、理解が飛躍したり、突拍子もないアイデアが湧いてきたりします。

 

痕跡本の歩き方

 

痕跡本の世界を歩くとき、どんなものに気をつければいいか。前の持ち主の線引きや意見、注釈を見るのはもちろんですが、こういったものは自分の頭で考える読書の邪魔にしかならないことのほうが多いですよね。特に前の持ち主が怒りっぽい人ならなおさらです。あれがダメ、これがダメ、バカだのアホだの、こういうのはゲンナリするので手にしてもうれしくはありません。そこまで怒って手を動かして、どうしてその人は手放したのか。汚れた本「本人にとってはダメな本」を市場へ流し、二次被害を引き起こすつもりだったのか。だとしたら、これまた見下げたものですよ。

 

と、こんな風に妄想するわけですね。推理といえば格好がつきますが、あえて妄想としておきます。推理すると、冷たく非常な現実が押し寄せてきますから、私は明るくポップなイメージを膨らませやすい「妄想」を推奨したいですね。たとえば痕跡本にはこんなものがあります。

 

  1. 1.大学の教科書などでどこがテストに出るかを示す
  2. 2.買ったときのレシートや、どこで買ったかがわかる書き込みがある
  3. 3.著者謹呈の紙が挟まったままだ
  4. 4.サイン本だったり、著者の一言メッセージが添えられている
  5. 5.愛読者カードに熱い想いがしたためられている
  6. (番外)このお札、伊藤博文やんけ

 

1.は、学生が楽して単位を取ろうとした証です。これを見て推理をすると、「ろくに勉強もせずにクソ大学生め」ということになりますが、妄想すると、「この線を引いてある箇所を集めてデータ化すれば、全国の大学教授が大切だと思っている事柄や理論が見える化できるんじゃない? それって役に立たないかな?」ということになります。折しもビッグデータ全盛の時代。私が出版社および電子書籍担当でやりたかったことはこういうことでもあったのです。集合知、それも最高学府の教授や講師陣がいう大切なこと。それが見える化されて、時代ごとに地層のようにデータが集まっていけば、おもしろいことが見えてくると思うのです。

 

2.についてですが、私が購入する本のジャンルのせいなのでしょうが、よく目にするお店の名前というのが出てきます。「三省堂書店」「書泉」「丸善」「ジュンク堂」、そして「信山社」です。「信山社」は惜しくも閉店してしまいましたが、岩波書店の商品を扱う岩波ブックセンターのことです。なぜかそう書かず、信山社と書かれる方が多いようです。本の見返しやトンボ紙に鉛筆書きしたり、レシートが挟まっていたり、そのレシートにこの後の予定や家計簿的なものをつけていたり。5000円、6000円という学問関連の専門書を買うのですから、研究者だと思うのですが、その生活ぶりは案外庶民じみているんだなあ、なんて思ったりもするわけです。本のレシートと喫茶店のレシートがセットになっていれば、買った本を神保町のカレー屋で読んだのだろうな、そんなに読みたかったのかな、なんて妄想が膨らむわけです。

 

3.私もごく稀にですが、献本を受けます。献本のときに一緒にいただくのが「著者謹呈」と書かれた和紙のしおりです。私も出版社にいたときは、せっせと挟み込んで宛名書きをしたものです。「乞御講評」とか書いてあったりもします。そういう伝統なんでしょうけど、一方的に送りつけといて「書評書けや」なんて、大概失礼ですよね。「謹呈」のきもちはどこへ行ったのだ、と。で、ですね。この献本のしおりがまったく触られた様子がない。天や小口の部分が同じように日焼けしていて、本すら開かれてないんじゃないの? というものにぶち当たったりもします。こういう場合はさすがにハートフルで建設的な「妄想」ではなく冷徹な「推理」になりそうですが、それでもいろいろと考えてみるわけです。この本が出たときはあの大事件があったころだな、それに気を取られて読めなかったのかな、献本されたものを開きもしないのだから、さぞたくさん送られてくる人なのだろう。どんな仕事をしていたのかな、もっとほかに読みたい本があったのかもしれない。じゃあ、その本はどういう本だったろう。と、連想ゲームをしていくのです。こういう無理やりプラス思考な過程も、なかなかおもしろいものです。

 

4.と5.はかなり近い関係です。サイン本や一言メッセージが墨書きされているような本は、本人に直接書いてもらった可能性が高い。私も著者に書いてもらうことがありますが、そんな本をどうして手放すのか。そこには稀代の推理小説家も真っ青なミステリーがあるのかもしれない……。また、愛読者カードを記入したのに、自分の住所まで書いてあるのに、切手だって要らないのに、出されなかったハガキ。ここにもきっと、予想だにしない理由があるに違いない。そうやって考えていると、日常のあちこちに不思議のタネが落ちていて、これだけで短編小説になっちゃうんじゃないの? なんて思えたりもします。もっとも、疑り深くなったり、夢見がちになっても当方は一切責任は負いませんので悪しからず。

 

(番外)物心ついたときには夏目漱石だったからびっくりだ! 銀行で替えてもらって牛丼特盛りにしよう!!(いけません) 私の場合、古本からの収益は新品や古本へ還元されるだけですので、前の持ち主さんは「私がネコババした」ではなく、古本市場に1000円寄付したと解していただければありがたく存じます。

 

まとまらない、まとめ

 

フツーの読書では邪魔でしかない本のラクガキ。痕跡本の世界をのぞいてみたくなりましたでしょうか。みなさんも発見した場合には、ぜひこのブログやSNSで「#痕跡本」などとつけてご報告していただければと思います。このブログでも随時蔵書のなかから色々と掘り起こし、掲載していこうと思いますので、どうぞ気長にお待ちくださいませ。

 

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