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和辻哲郎生誕130年。和辻哲郎ってどんな人?

和辻哲郎生130周年を迎えて

和辻哲郎ってどんな人?

 

和辻哲郎は1889年3月1日、現在の兵庫県姫路市に生まれました。特定の肩書きを与えるのであれば、日本の哲学者という位置付けが一番しっくりくるのではないかと思います。倫理学者ということもできるかもしれません。功績としましては、西洋の哲学と日本古来の思想のすり合わせを行った人、ということになるでしょうか。ただ、私は和辻哲郎という人物にはもっと大いなる功績があったと感じています。

 

日本地理学の礎石としての和辻哲郎

 

フツーに生きていれば、和辻哲郎という人物と接点を持つことなどないでしょう。よほど哲学ないしは民俗学を専門としなければ出会いようがなく、日本の思想研究をするならまずは西田幾多郎から、民俗文化であれば柳田國男からはじめて、それで手いっぱいになるものですし、なかなかツウな選択になります。

 

ところで、私は哲学の徒でも、民俗学の士でもありません。いずれも志さず、地理学をやろうと大学に入りました。ではなぜ、そんな私が和辻哲郎と接点を持ったのか、ですが、母校の図書館に生前、和辻が収集した書籍類が保存、整理された和辻文庫があったからなんです。

 

和辻哲郎は谷崎徹三、詩人として有名な谷崎俊太郎のお父さんと仲がよく、同じ法政大学で教授をしておりました。その縁もあって、没後に書籍類を引き受け、文庫としているわけなんです。私は文化地理学、都市地理学の文献を探しているうちに、大学周辺の歴史的地区について調べてみたくなり、神楽坂や市ヶ谷の簡単な成り立ちを見てやろうと思ったんですね。そのなかで、大学の展示物やらなんやらが目に止まり、収蔵されている文庫があると知ることになるのです。

 

私の場合、いつも手順が逆です。西田幾多郎を知ってから和辻哲郎や三木清を知るのではなく、大学の教授だったという事実から親近感を覚えて和辻・三木から西田・柳田へと移る。先に知っておくべき大前提を受け入れる前に、小項目からはじめてしまう天邪鬼です。結果、どんな研究も頓挫して、なんにも身についていません。もちろん、研究職も教授職も得られません。でも、知的好奇心は満たされました。学問なんてものは、身近に感じたところから芋づる式にやっていくというのでいいのかもしれません。上から与えられるような学問に、特に人文系学問においては、価値なんてないように思えるからです。自由な発想で、誰もが試行錯誤するからこそおもしろいのです。

 

和辻哲郎も試行錯誤していたようです。専門は哲学ですし、歴史的な古刹などを随筆的に残しているとはいえ王道を行く専門家というわけでなく、見聞きしたことをメモしていく記述家でした。その過程に私はおもしろさを感じるのです。専門家ではない、自分なりのやりかた。それが、文化地理学、都市地理学を専門にしようと志したハナタレガキに結果的に響いたわけです。和辻の記録は地理のために書かれたものではありません。しかしながら、それらの思案や分析は、地理学に資するものが大変に多いのです。単なる歴史、民俗の記述や妄想的分析ではない、学問にいたらしめようとする自由な精神が脈動する姿にワクワクするのです。

 

こういうときに安易に比較対象を持ち出して、こちらがよい、あちらは悪いというのは適切ではないのですが、現場に行かず、各地から集まってくる情報の断片をまとめただけの民俗学の某大家……もう名前が出ていますけれども、そういった研究とは違う、リアリティがあります。もちろん、そこに住み、空気を吸って暮らしている人たちが醸すリアリティに比べればまだまだです。でも、血の通った人間が、たとえヘタクソで出来損ないなままでも、肌で感じたことを記述する姿に、フィールドワークの大切さを感じられたのです。

 

それだけに、いま私が手にしている全集については残念としかいいようがありません。この全集、とてもよくできています。和辻哲郎は哲学者ですから、考えること、正しく伝えることのプロです。有り体にいえば、几帳面な人ということです。結果として、奈良などの古刹で感じたそれぞれの匂い、肌感覚を廃して、とても平板で、一方で正しい文章にしてしまいました。

 

後年になって私が全集を手にしたとき違和感を感じたのですが、当初書かれ発表された原稿と、全集に収録された原稿は別物だったのです。私自身若かったので、「無知の若者が知らない世界に触れて興奮していただけか」と思っていたのですが、改めて調べてみると、やはり、差し替えられていたのです。正しく、良質な文章となった一方で、荒々しく、冷静さを欠いた紀行文はそこにはなかった。

 

これはつい最近知ったことですが、先述の詩人、谷崎俊太郎の父、谷崎徹三は、この和辻の改訂を見て嘆いたといいます。谷崎は文学部の教授から学長にまでなった男です。文芸の専門家の目には、事実をひたすらに、流麗に描くだけの文章は味気なく映ったのかもしれません。

 

そういった和辻哲郎の興奮、分析、感覚を受け継いだのは、地理学の世界では日本人ですらありませんでした。先般、地理の世界では偉大な賞である「コスモス国際賞」を受賞したフランスのオギュスタン・ベルクでした。和辻の『風土』という著作に影響を受けた、哲学者からの地理学者です。

 

日本でもこの和辻的感覚を受け継ぐ人がたくさん生まれてくることを願ってやみません。

そういえば、地理学をやっていたのに和辻哲郎からオギュスタン・ベルクを知るというのも手順が逆ですし、哲学者が地理学の世界に踏み入ってしまうという和辻・ベルク両氏の手順と真逆に、私は地理から哲学に踏み込んでいますね。どこまで天邪鬼なのやら。これからの人生もなかなかに大変そうです。

 

     

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