1. HOME
  2. ブログ
  3. 専門家を社内につくってはいけない

専門家を社内につくってはいけない

社内専門家は不要

その仕事しかできない人は要らないという勇気

 

時代の流れははやいもので、ある特定の職域の専門家などというものは、

どんどん淘汰され、機械化しています。

専門家として独り立ちできるほど確固たる職域であるとすれば、

それは機械に習得させやすいことにほかならず、

営業・渉外のような曖昧さがなければないほど置いておく理由がなくなります。

こういった理由で、専門家は社内に置かず、必要になるたびにアウトソーシング、

つまりは外注したほうがいいということになるというのが一点。

 

もう一点は、こちらのほうが重要なのですが、専門家が「つけあがらない」仕組みを

社内に持っている会社は強い会社だという点です。

 

社内専門家は組織を弱体化させる

 

組織として強いとはどういうことか。ラグビーのように、全員で突進して、

倒されても次の選手、また次の選手が前へ進もうと出てくる。それが強い組織です。

しかし、社内に特定の職域だけしか扱わない(扱えない)社内専門家がいると、

そこがボトルネックになった組織が停滞します。

部下はおろか、上司や社長まで、「あの人がいないと仕事がまわらない」などといって

遠慮するようになると、おしまいです。

 

社内専門家は、一層つけ上がり、部下たちの成長を阻害して、

自分がいつまでもナンバーワンであり続けようとします。

自分を追い抜く芽は早々に摘み取りますから組織はさらに停滞し、

士気は下がり、社内専門家がいてもダメ、独立や退職していなくなっても、

社内の人材が育成されていないので大ダメージとなるのですね。

だとしたら、専門家など置いておく意義は皆無です。百害あって一利なし。

早々に専門家でなくしてしまわなければなりません。

 

社内専門家を置かないのは「善意」である

 

ここまでお読みいただいたかたは、社員に余計な仕事をさせようとしているですとか、

専門家を悪者扱いしていると考えられたかもしれませんが、それは違います。

専門家を置かないことは「優しさ」です。善意からなのです。

 

なぜ善意なのか。例えば、会計処理の話。経理担当が横領、着服するのは決まって

専門家だからです。何年もその仕事をさせられているから、つい、やってしまう。

自分ならできる、バレないなどと気が大きくなるのです。専門家の弊害です。

実はベテラン医師より、新人医師の方が手術などの医療水準は高くあり、

慣れていけばいくほどに能力は下がるという調査もありますから、

専門家は専門家ゆえにダメになっていくわけです。

 

経理に限りません。仕入れ担当でも現場仕事でも、妙な接待やキックバックを

要求するのは慣れているからです。官公庁や大企業で、リクルートスーツをそのまま

着てきたかのような新人くんが、いきなり「3000万ください」なんていわないでしょう。

不正を働くために生きている人間は稀です。

専門家になって頭が弱くなり、反比例して気が大きくなったからこそ、

人間は腐るのです。それは会社や組織の責任です。個人を執拗に責めてはいけない。

そして、どんなに責めても起こることは起こるのです。

そうであるならば、事前にバカな専門家にならないようにしてあげるのが、

優しさというものです。

社内に犯罪者をつくらない。これが善意でなければなんでしょうか。

強い意志を持って乗り越えろ! と大号令をかけるだけより、よほど優しいと思います。

 

社内専門家がいない組織は休めます

 

社内専門家は、その人がいないと仕事がまわっていかないのですから、

その人は日曜祝日も関係なく出てきたりします。

それで疲弊して辞める、士気が落ちる場合もあるのですが、

なかには変わった人がいて、毎日(大した仕事をしているわけでもないのに)出社する

タイプの専門家がいます。自分が必要なのだという気分に酔っているといっていい。

このタイプが上司になると悲惨です。部下は当然休めません。

部下は専門家ではないですし、専門家になろうなどと努力したら潰されますから、

もう会社を辞めるか、奴隷のように生きていくしかない。

こんな組織に若い人間が定着するはずもないですよね。

休まない専門家上司は最悪です。

組織の破壊者です。すぐに対処しなければなりません。

 

社内専門家をどう駆逐するか

 

すでに述べたとおり、専門的技能や知識が必要なものは外注するのが簡単です。

しかし、社内にノウハウを蓄積したい場合などはそうもいかないでしょう。

その場合は、複数の職域を経験し、課長クラスの実力を持たなければ

正式な上司(部長クラス)として認めない制度を導入することです。

例えば、営業のエースだからといばり散らすようになる前に、

経理にまわす。すると、経理の仕事はまったくわからないので、

パートやアルバイトの社員に聞かなくてはいけないことも出てきます。

すると、仕事に謙虚さが出ます。

その間にエースが抜けた穴を誰かが埋める。営業部に新エースをつくって、

経理にまわされた元エースが営業部の部長や課長になって戻ってきたとき、

使える手駒が増えるという寸法です。

あちこちの部署でこうした横断的人材が増えてくると、部署間の壁が消えます。

書き入れ時に営業が足りない、期末に経理が欲しいとなったとき、

ヘルプを出すこともできますし、日常的な話として、自分の仕事を誰かが

引き受けてもらえるのですから、突発的な事故、病気、子育てや介護への

対応も比較的容易で、「休める職場」になります。

 

どうですか。面倒ではあるのですが、いいことづくめだと思いませんか。

「実際にはそう簡単じゃないよ」という声も聞こえてきそうですが、

こういった環境を是としない社員が多い会社は、必然的に弱くなり、

社内専門家様が幅を効かせるようになります。

人は定着せず、成長せず、そもそも取れなくなって、消えていく。

それがいいことなんでしょうか。

一部社員の自己陶酔のために、多くの社員の生活、家族の生活を台無しにすることが、

善意や優しさなのかと思うのです。

 

複数の職域がこなせる人間でなければ、ウチでは立派な上司、社員とは認めない。

移動拒否をするなら、仮免係長、仮免課長止まりだぞ……。

こうすることで、わかりやすい評価基準を設けることもできますし、

百利あって一害あるなし、だと思うのですが、いかがでしょうか。

  1. この記事へのコメントはありません。

  1. この記事へのトラックバックはありません。

CAPTCHA


関連記事

調べものですか?

最新記事

おすすめ記事

特集記事

About Author