ないと困るものをつくるのは難しいので
ないと困るものをつくるのは難しい
「あってもいいもの」をつくることにしました
生活必需品などと呼ばれますが、ないと困るものというものを生み出せれば世の中のためになるでしょうし、当たれば大きいのでしょう。一昔前はそうでもなかった携帯電話はもはや必需品ですし、スマホだってそうです。でも、ないと困るような品物をまったく新しい発想でつくるのは大変です。携帯電話がまだまだ「悪の象徴」だった時代を思い出せば、新しいものが受け入れられるまでの軋轢たるや想像を絶するものがあったはずです。いえ、事実ありました。それらと正面から戦うというのもカッコいいことなのかもしれませんが、私はこうも思うわけです。
「生活必需品になっちゃったら、おもしろくないよね」と。
だから、真正面から勝負したくない。生活必需品になると、それは社会に組み込まれます。たとえば洗濯機がそうです。いまどき川まで出かけて手洗いする主婦は、まずいませんよね。川まで行って帰ってくるとなると、洗濯だけで2時間くらいはかかります。それで午前中はおしまいです。でも、洗濯機が生活必需品になったので、社会は洗濯で午前が終わる前提でまわらなくなりました。社会に組み込まれて、そのぶん浮いた時間ぶん、働くことが前提になったのです。ほかにもいろいろなことが、便利になったばっかりに大変になっています。
それって、本当に便利になったの? ラクになったの? おもしろいの?
そう思うわけです。
ですから、社会に組み込まれるような生活必需品は追いかけません。
そんなすばらしいものを生み出す力もありません。
その代わり、「あってもいいもの」をつくることにしました。
古くはラジオドラマでバカになる、テレビの見過ぎでバカになる、スマホのし過ぎで以下省略。
そんな風にあんまりいわれないような、別にあってもいいもの。
誰の邪魔にもならないようなものを目指します。
それはそれで難しいのですが、あってもなくてもいいものが「ある」ということは、世の中の豊かさのように思うのです。
ですから、私はあってもなくてもいいもので、世の中を豊かにすることに決めました。
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