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書評『人がうごくコンテンツのつくり方』高瀬敦也

 

狭めればコンテンツ

 

「くくる」という言葉を使いましたが、本書では「狭める」という表現をしています。ここまで述べさせていただいたように、コンテンツ化は言語化だとか、くくるだとか、狭めるといった、見える化なんですね。たくさんの人に理解してもらおうというものは、コンテンツになりにくいんです。「人間は呼吸する」「日本人の主食はコメ」「犯罪者のほぼ100%が食事をしている」これらは面白味を出すことはできても、強烈なコンテンツにはなりません。なぜって、それが当たり前だからです。日本の農山村の、段々畑のなかにポツポツと茅葺き屋根が見えるなんてものはいまでこそコンテンツですが、かつてはコンテンツではありませんでした。当たり前だからです。逆に現代なら、サイコロのような家や、モノトーンカラーの家、南欧風の家などがゴチャゴチャと都市部に密集している姿というのは、コンテンツになりませんよね。なーんにもおもしろくないからです。京都だとか川越だとか、徳島県の「うだつの街並み」などがクール! といわれるのは、当たり前ではなくなったから。これらは時代の変化で勝手に狭まり、コンテンツ化されたものですが、あなたがコンテンツを作為的に生み出そうと考えているのであれば、安易に大衆に受けようと思わないことです。それは相当に難しいことで、原理原則に反する行為だと理解しておく必要があるでしょう。

 

まとめ

 

  • コンテンツとは中身のこと
  • どんなものでもコンテンツ
  • コンテンツづくりは狭めること

 

これらがコンテンツを生み出すための基本といえそうです。

 

 

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