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けっきょく、よはく。|白楽天とバラの花

余白の美しさ

 

ノドや小口、天地に迫る本を見るたびに、どうしてもう少し配慮できなかったのか。こんなに美的に欠陥のある本は内容も信用できないな……と思ってしまうのですが、一向になくなりませんね。内容をぎゅうぎゅうに詰め込んで、読者の可読性を下げてまでコストダウンしたいんでしょうか。同時に読者の満足度も下がり、出版社や著者の評価まで下がってしまうと思うのですが、なにか上がるものでもあるのでしょうか。私の血圧くらいのもんじゃないですかね。

 

さて、以前バラについて白楽天が詠んだ漢詩の論評を目にしたことがあります。白楽天(白居易)は隠棲するなかで完全に人との関わりを断つでもなく、地域の人々の暮らしと関わりながら詩作に励み、ゆるやかな隠遁生活を送ったとも聞いています。先の評論の内容は、そんな白楽天の漢詩は粒ぞろいだというお話で、正確には覚えていないのですが、「若い白楽天が暇だったから、庭にバラを植えました。花がついたらお前を嫁とろうと思っているよ」という漢詩をしたためたというものです。千数百年前にはバラを愛でる文化がアジアにすでにあり、それを詠んでいたんですね。人間の歴史と文化たるや侮りがたしと申しますか、とてもすごいことだと思います。

 

さて、このことを聞いてインスピレーションを感じた芸術家が、花瓶に立派なバラの絵をつけたそうです。私なぞが実物を見ずに論ずるのもいかがなものかと存じますが、花器の絵付けとして、花の中でも特別なバラを描いてしまうのはどうなのかと思うのです。確かにそれは美しいのかもしれませんが、そうなると花器ではなく、オブジェ、観賞用芸術品になってしまいはしないか、と。バラの絵の花器に、一体どんな花を活ければいいのでしょうか。

 

まさかバラの花を挿せとでも? そういう気はどうにも起きません。その絵付けが実物より上手くとも、劣っていても、滑稽に感ぜられるからです。

花を愛でるなら、むしろ土くれを荒くこね上げただけの一輪挿しのほうがいいかもしれない。少々小石が混ざろうとも、赤褐色の肌にまだらに黄土の土が混ざろうとも、活ける花を引き立てたほうが総合的に美しいのではないかと思うわけです。芸術というものは実用の色彩を帯びれば帯びるほど、深い理解が必要になるようです。そのようなややこしさのなかにこそ、コクが生まれるのかもしれません。

 

蛇足

 

白楽天は「ナントカは俺の嫁」という最近のいわゆる「オタク」のはしりだったのかもしれません。

バラの花が本当に花を嫁として娶るという意味かは解釈があるそうですが、

それも含めて余白の美を思わせます。

味わい深げな文を書くと、ジンマシンが出そうなのでオチをつけないといけない体質なのです。

今日もお読みいただき、ありがとうございます。

      

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