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わけのわかんない地理学研究のはなし

都市地理学のカオス

 

「地理学をやっていました、そのなかでも文化地理学と都市地理学が専門です」といっても、まず理解されることはありません。一応、高校の授業科目に地理はありますが、入試で不利なので選ばれませんしね。私は地理と化学と物理を選んで文系学部に行くという天邪鬼だったので、これでよかったのですが、効率という面から見れば最悪の選択です。

 

さて、高校生の自分が地理学に興味を持ったのは、わけのわかんない研究が結構あることを知っていたからです。高校生の研究のイメージといえば、試薬をスポイトを使って試験管に落とす。そんな感じですよね。もしくは、大量の古文書を読むとか。その程度です。でも、地理学の研究ってなんだろうなと調べたら、とんでもない研究が次々と現れたんですね。

 

例えば、「ぼっちの中年が行きたくない場所ランキング」とか。

 

もちろん、こんな書き方はしていません。たぶん、許されません。でも、要約すればこういうことになります。どいう研究かといえば、中年の独り身の男性が行きづらい場所、空間を地理的に分析するというありそうでなかった研究なんです。たとえば、なくなっちゃいましたけど、渋谷の109とか中年独り身男性がひとりで行くのはためらわれませんか? あとは休日のショッピングモールのフードコート。辛く感じる人が多いようですね。私は全然そんな風には感じないんですけど、「結婚できなかった」という負い目のようなものを抱いていると近づきがたいのかもしれません。

 

とにかく、そういった具合で「できれば近寄りたくない場所」がどこに存在しているのかを調べるというのが、この研究をされているかたの定義した「都市地理学」なんです。研究者の数だけ、研究の定義があるので、カオスもカオスです。

 

で、それがなんの役に立つのか。もちろん、すぐになにかの役には立ちません。でも、それが基礎研究なのです。日本はこういう、すぐにお金になる研究以外を軽視します。すぐにお金になる研究というのは、本来ありえません。というのも、お金になりそうだと目算が立つには、膨大な基礎研究と、それを応用する研究、産業として活用できる道が仕上がっていないといけないからです。日本の研究を取り巻く環境がひどいのは、こういう当たり前の手順を理解していない人間が、平気な顔で「儲かる研究だけ残して、儲からないのは捨てよう」といえる点にあります。

 

先ほどの「ぼっち独り身中年」の研究だって、それだけではどうにもなりません。でも、街づくりを考えたとき、渋谷のど真ん中に、ぼっち独り身中年が務める勤務先や独身寮を構えるのは不適当だろうなということは推測できます。ストレスで潰れてしまいますからね。となると、そういう心理的に苦しまずに済むような地域というものを構えた方が、オッサンにも若者にもいいんじゃないかな? ということも推測できます。となると、独身寮を建てたいと考えている企業や、単身者へのサービス、飲食業などは、こういう街のほうが単身者がたくさん住んでいるのではないか、日常的に利用しているのではないか? と類推することができますよね。

 

こんな発想が出てくるのも、本当にどうしようもないような基礎研究がなされて、問題がデータなり文章なりで可視化されたからです。それ単体でなにも産まないから価値がないだなんて、とんでもない。なにも産まないと思うのは、見ている人間の発想力の乏しさのせいかもしれません。役に立つかどうかは、我々にかかっているのです。そして、そのためのデータを自由に、カオスに世に出せるのが都市地理学なんですね。

 

地理教育が必修になったとかなんとか。学生の皆さんは興味があれば、各大学の地理学科、人文地理の都市地理や文化地理がどんな研究をしているか調べてみてください。掘れば掘るほど「頭おかしいんじゃねえか」という論文が湧いてくるはずです。

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