大人の都合で地域創生はできるのだろうか?
四国と徳島の地方創生を私の狭い視界で考えてみる
地方から若者がいなくなっていきます。
仕事がないというのが一番大きいことですが、仕事は用意できます。
だとすれば、二番目に大きいこと、「つまらない」を解決するほうが先かもしれません。
でも、これは仕事以上に難問です。
都会は楽しいことがたくさんあります。人がたくさんいるので楽しい、いろんな人がいて、
その価値観を許容してくれるから楽しいのです。
これを地方の、そのまた地方に求めるのは困難です。
それでも地域創生を諦めない人たちがいます。とても意義のあることだと思います。
思いますけれども、その地域創生は大人の都合になってませんか、ということです。
私は文化地理学と都市地理学が大好きで、大人になってもなんだかんだとそんな本ばかり読みます。
そのなかで出てくる地域創生の成功事例の多くは、大人が口出ししていないのです。
地域創生を打ち出すのはたいてい大人です。
「大人にとって好ましいこと」で、若者を集めようとしている。
この「大人にとって好ましいこと」が嫌で嫌で仕方ないから故郷を捨てているのに、
わざわざ大声で叫んでしまう。生まれた故郷が好きで当然で、そうじゃない奴は風上にも置けない。
そんな風潮もあいまって、少しずつ、若者が都市へ流れていくんです。
地域創生を考えるなら、大人にとって好ましいことではなく、若者や子どもにとって好ましいことを
打ち出すべきです。もちろん、これがとてつもなく難しい。
彼らに意見を聞けば済むことかもしれませんが、そういう意見を聞くということは、
オラが村の伝統を捨てるということにほかならないからです。
こうして計画が頓挫したところをたくさん見てきました。
自分たちのしあわせな余生のためにいまの地域を維持するか、次世代のために変わることを認めるか。
難しい選択だと思います。でも、どの道を選んでも若者がいなくなれば生活や介護のために
故郷を離れなければならないでしょうから、実は選択肢なんてないのかもしれません。
(2ページ目では地方創生の具体策を考えてみました)
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