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苦労の種類について

苦労を一緒くたにしてはいけない

 

苦労には種類があります。

ひとつは、嫌で嫌で仕方がない苦労です。

もうひとつは、ワクワクするような苦労です。

 

やりたいかやりたくないかでいえば、どちらの苦労も面倒なのでやりたくない。ここは共通です。人間はもとより動物なのですから、わざわざ苦労をしようとは思いません。人間だけが達成することで進歩することを知っていて、そのための努力を積み上げられるのですが、本質の部分では「怠惰」で「ケチ」なのです。そこを否定してもはじまりません。

 

近年、人間は苦労すべきだという人がそこらじゅうに増えたように思います。かつての苦労は、例えば丁稚奉公のようなものだとしても、将来を約束された苦労でした。私の祖父もよく口にしていましたね。「頭のひとつやふたつ殴られたところで、会社を辞めるわけにはいかない」と。これは、会社が社員の面倒を見てくれるから成立していたものです。江戸時代の丁稚奉公も、小さい子どもがこき使われる代わりに、将来は跡取りになったり、番頭さんになったり、のれん分けしてもらえたり、そうでなくても小間使いとして残して貰える前提があったからこそなのです。これは、どちらかといえば、将来の安心を買うための苦労です。ワクワクするかはわかりませんが、いい苦労です。

 

一方で、意味のない苦労もあります。ある自転車乗りがこんなことをいっていました。

「電動アシスト自転車なんて最低だ。苦労して、鍛えて走るからこその自転車だ」と。

私ね、思うんです。苦労するのが偉いなら、自転車じゃなくて歩け、と。程度問題なわけですよね。苦労することが偉い、正しいという考えがはびこると、便利になること、効率的にやることが悪になります。便利にしたり、効率的にすることだって、色々考えたり、技術を身につけないといけなくて大変なのに、一方的に悪だと決めつけられてしまう。それって世の中全体として損、ですよね。最近では、新しくなること、進歩することが面倒くさい人間の言い訳なんじゃないかとも思っています。

 

また、効率よくやることが悪ならば、楽しんでやることなんて「極悪」なわけです。世の中には、好きな仕事を楽しんでやっている人が結構います。多くはありませんが、苦労を苦痛と感じない、感じていても納得して受け入れられる職業人がいます。プロスポーツ選手などはそういう人が多いでしょうね。で、そういう人は許されない風潮があるのです。

 

「そんな仕事は辞めて、自分に向いていない仕事を選んで苦労しろ」

 

言外に匂わすのも含めて、本気でこんな風にいっている人がいるわけです。本当にそれが正しいことなのか。自分の現状が不満だからと、他人を不幸にしたいだけではないか。そんな人間のアドバイスを聞いてなんになるのか。

 

大人はもっと、世の中には「いい苦労と悪い苦労」があることを伝えるべきだと思います。悪い苦労を選ばない知恵を与えることがイイコトであって、苦労させて故意に自尊心を傷つけたり、失敗の恐怖を植えつけたりして、新しいものごとに取り組めないように矯正することではありません。ボコボコになったら精神力がつくだなんて大嘘です。ボコボコになって精神力が鍛えられる人間は、ボコボコにならなくても元々精神力が強いものです。弱い人はその過程で折れてしまいますからね。

 

自分は苦労した、だからお前も苦労しろ。

 

そんなふうにいう人が、ひとりでも減ればと願っています。

 

蛇足

 

あるカリスマ企業人が提唱する素手でトイレの便器を掃除するとか最低の習慣ですけど、私はやってみて「怖いもの知らずパワー」が身についたと思います。もっとも、そうは思えない人もいます。物事は受け取り手の反応によって、イイ方向にも悪い方向にも動きますから、どんなに役にたっても、全員に一律「素手で掃除しろ」というのはナンセンスです。どうしてもさせたいなら、掃除したくないという人はその時点で雇わないことですね。怖いもの知らずになれる人と、なれない人の振り分けとして使うなら結構です。無理やり「全員がやれ!」というのは、今の時代だとパワハラですかね。

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