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スーパーカー自転車にみる景気と社会

スーパーカー自転車とはなんぞ

スーパーカーとは名ばかりのゴテゴテチャリンコ

 

スーパーカーといえば、空気抵抗と車重を考えて、減らしに減らす車が多いのですが、1970年ごろ大ブームとなったスーパーカー自転車は、ウインカーのためにバッテリー、ブレーキランプに変速ギア、基本的にマットブラック(当時は艶消しといった)の自転車です。黒とシルバーが好きなのはいまも昔も一定層に熱烈な支持を受けるんですねぇ。

 

私は変人なんで、写真などを見ていると、オレンジなんかもいいなと思うのですが、まったく売れなかったそうです。目的が違うんでしょうね。所有する目的が。

 

斜め上からの文句はいまもむかしも変わらない

 

「教育に悪い」

「買えない家のことを考えろ」

「買えずに子どもがいじめられたら責任をとれるのか」

 

スマホやソシャゲに怒るPTAじゃありません。スーパーカー自転車のことです。

1970年ですから、もう50年前になるんですが、いまもむかしも同じように文句をいう人はいました。そしてその怒りが最高潮に達したのは、1970年代中盤。オイルショック後です。

 

私ね、思うんです。

戦争を知らない親世代に聞けば、オイルショックのときの緊張感といったらなかったといいます。つまり、人間の心に余裕がなくなったんです。親の親世代は戦前〜戦中派ですから、こんなものどうってことなかったんですけど、戦後に生まれた世代が親になったばかりの1975年ごろはそうはいかなかったんでしょうかね。

 

はじめて体感する景気後退。経済減速、先の見通せない空気(戦争に比べてみろっての!)。そんななか、高級路線やオラつき路線のものをみると、許せなかった。ストレスの吐口にもってこいだった。だから徹底的に叩き潰した。

 

そういうことではないかと思うんです。

ちなみに、このあたりでスーパーカー自転車にあこがれた世代は、90年前後の景気回復期にマウンテンバイクブームをつくってます。当時は若いのもそうですが、MTBといって40そこそこのオッサンがブラックバス用の釣竿背負って走ってましたよね。いまは70くらいになるんでしょうか。三つ子の魂なんとやらともいえますが、これだって結局、景気がよくなって心にゆとりが生まれたからだと思うんです。

 

虐待がそうですが、親にされたことを子にしてしまうんですよね? でも、スーパーカー自転車を禁止された世代はMTBを禁止しませんでした。やっぱりバブル景気の心のゆとりの中で生きていたからでしょう。ギスギスしていたらこうはいかなかったはずです。

 

そしていま、また景気が低迷すると、人にイチャモンをつけて禁止したくてたまらない人が出てくるわけです。ネットが普及したからというのもありますが、より一層、顕著になるのは、やはり個々人の心に余裕がないからではないかと思います。

 

虚飾に満ちた消費を推奨するわけではありません。誰かを圧倒したい、自分をよく見せたいという欲求は抑えるべきものです。そしてそれらは、ブランド品で身を固めて、他人より上だと示したいというものに限らず、「正統性」や「正義」でぶん殴って自分の地位を相対的に高めたいという意識とも根底で繋がっているわけです。

 

余裕を持ちましょう。

そして、わくわくするものをつくり、買いましょう。

人と比べてどう、ではなく、わくわくするかどうかに価値をおけば、ゆるやかな好循環が生まれるはずです。

人と比べたくなっていませんか?

人と比べることは、自分に余裕がない証拠です。

急ぎ、余裕を補充しませんか?

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