1. HOME
  2. ブログ
  3. 夏休み型うつと自殺について考える

夏休み型うつと自殺について考える

誰がなんといおうと、生き残った者が勝者です

 

夏休みの最終日、8月31日が近づくと、若い自殺者が急激に増えるといいます。

 

どうしてそこまで我慢するのか。我慢がいいことだというのは、文明や宗教が決めたことでしかありません。もちろん、我慢が功を奏す場面も多いです。でも、命に危険が及ぶまで我慢するのは本末転倒です。

 

こういう話になると、決まって出てくるのが、誰もが自由に、勝手気ままに生きたら収集がつかなくなるという人です。でも、この類の人は「自由」という言葉を拡大解釈しすぎています。自由とは、「他人の権利を害さない範囲なら、なにをしてもよい」という程度のことです。悪辣非道の限りを尽くしてよい、という意味ではありません。誰かが自由に生きた結果、誰かの自由が脅かされてはいけないのです。と、説明しても彼らは理解してくれません。それは、彼らが「自分が自由に生きるために、(できることなら、少しくらいなら)他人の権利を脅かしたい」と思っているからです。こういう手合いだと気づいたら、まともに取り合ってはいけません。あなたの心が潰れるだけです。

 

さて、生き残るために逃げることは、正しいことです。それは絶対にまちがっていない。生存戦略として生き残ることが一番に優先されるべきことです。あんなに強くて逞しく見えても、恐竜は滅んでしまいました。弱く、食べられる側だった野ネズミや昆虫が生き残り、大型の爬虫類は滅んだのです。同様に大型昆虫も滅びました。酸素の濃度が下がったからです。この世界は適者生存です。生き残った者が勝者なのです。ですから、生きることを優先して、「学校に行かない」という選択肢を採ることは、なんら間違いではありません。

 

生存戦略と適者生存の話

 

例えば、子育て中の動物。動物界では主にメスになりますが、メスは子どもを育てている間は妊娠しないようになっていたりします。なので、オスはメスを見つけると、自分の子どもでなければ容赦無く殺そうとします。母親も抵抗しますが、オスに勝てないとなれば、あっさり子どもを差し出します。

 

これをどう見るか。

とんでもないことだ、最後の最後まで命を賭けて戦うべきだと動物たちに説教するのでしょうか。「二夫に仕えず」だとか、「子どもの命は換え難い」だとかは、人間が後天的に決めたことです。このままでは子どもの命も、自分の命も助からないなら、自分だけは助かろうとする。動物は極めて合理的です。そこに矛盾はありません。生き残った者が勝者だからです。

 

人間だって本来、そうあるべきです。どんなに清く正しく生きてきても、死んでしまえばそれまでです。後ろ指を指されようとも、生きている奴の勝ちなのです。夏休みの終わりに思い悩む子どもは、きっと純粋だったり、気が小さかったりするんでしょう。そうあるべきだと教わってきたから、清く、正しく生きているのに、その思いが行き過ぎたりして、学校へ行きたくなくなる。そこで命を経てば、それまでです。

 

仮に学校に行くと「いじめっ子」がいて、手酷くあなたをいじめるとしましょう。あなたが命を絶って抗議したところで、いじめっ子は死にません。「生き残った者が勝ち」という原則からいえば、いじめっ子の勝利です。腹立たしいことですが、それが現実、それが自然界のルールです。でも、きっと社会がいじめっ子を罰してくれるでしょう。それでいじめっ子が苦にして自殺したり、食べていけなくなって命を絶つ。そうなれば、あなたの復讐が完了したことになるのか。これは、なりません。ここも忘れないでください。社会がいじめっ子を殺してくれたとしても、それは社会に属する人たちが生存戦略を働かせ、生き残っただけの話です。勝者はあなたでも、いじめっ子でもなく、いじめられる奴といじめる奴を同時に排除できた社会の人々ということになります。私は、こうなったほうがずっと悔しいように思います。

 

適者生存である以上は

 

死ぬくらいなら逃げればいい。これは間違いのないルールです。ただ、逃げた結果、行きていけなくなったなら、それはもう仕方がないことです。でも、死ぬまでの時間稼ぎはできる。生きていれば、可能性は繋げます。ただし、逃げ込んだ先で行き止まりに突き当たったとしても、それを誰かのせいにしてはいけません。自然界には、誰かのせいはありません。

 

「生き残るために最大限の努力をする」という単純明快な目的のために、どの動物も全力を尽くしています。彼らの行動はすべて彼らの責に帰すわけで、そこに誰かがどうしたから、自分はこんなことになったんだというような考えは入り込みようがありません。仮にそうだったとしても、そう仕向けた奴が生存戦略上、勝ったということにしかなりません。

 

ですから、社会の常識や一時の感情などはかなぐり捨て、まず、命のための行動をとり、逃げた場合は逃げた先で生き残る方法を考える。これが鉄則です。8月最後に思い悩む必要などないのです。生き残っている限り、勝者なのですから。

 

今日もいっちょかみ!!をお読みいただきありがとうございます。

ふつう、人間は死に方を選べないんです。だから、自殺なんていうのは人間にとって最高の贅沢だと思う。そんな贅沢は死ぬ1秒前まで取っておいた方が、楽しみが長く続いていいんじゃないかなぁ。

 

【推薦】

現実はこんなに単純じゃないけれど、いじめられようがなにをしようが、踏ん張っていればどうにかなることも、あったりする。大切なのは、死なないこと。人と交流することを恐れないこと。徒党を組むのが一番強いんですよ。進化の過程で社会性を獲得した動物の知恵です。

  1. この記事へのコメントはありません。

  1. この記事へのトラックバックはありません。

CAPTCHA


関連記事

調べものですか?

最新記事

おすすめ記事

特集記事

About Author