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嫉妬について

嫉妬は悪なのか、という問い

 

嫉妬心はよくない。まったく非生産的であるし、自分のためにも、他人のためにもならない。というのは本当なんでしょうか。三木清という哲学者は、「嫉妬は出歩いて、家を守らない」といいました。また、世間の常識と同じように、嫉妬ほど多忙な感情はなく、不生産といったことも書き残しています。でも、私はそうは思いません。嫉妬心というものと、嫉妬からくる「行動」を一緒くたにしてしまうからおかしな解釈をしてしまうのであって、嫉妬心は嫉妬心、そこからくる行動は行動で、別個に考えなければならないと考えるからです。

 

嫉妬と行動は別のものです。改めて指摘されれば、そりゃそうだと思えるのではないでしょうか。となると、嫉妬心という感情は、他者に比べて自分が劣っていることに気づいたときに起こるものだということがわかります。つまり、自分が一番ではないぞという現実を認識できる常識的な能力であるといえるのです。自分が一番ではないということは、その集団では偉そうにできないし、安心もできない。もっと努力しなければならないということです。嫉妬心はそのような正しい認識を持っているからこそ発せられる危険信号や、センサーでしかないのです。この嫉妬心がない場合どうなるか。危険を感じませんから努力することも、工夫することも「できません」。人間のほかあらゆる動物の根っこには怠惰な心、楽をする心がインプットされていますから、不必要ならがんばらないのです。でも、人間は進化の過程のどこかで、その集団の中で負けていると気づいた場合、燃え上がるような嫉妬心を抱くことで現状を打破するという仕組みを獲得したのです。そうして、強烈な嫉妬心を持つ個体が生き残ってきという現実があります。

 

ですから、嫉妬が悪い感情だというのはありえないことなのです。問題となるのは、そこから取る行動がよからぬものである場合だけです。他人の足を引っ張ったり、悪評を流したり、命を奪おうとするようなことですね。そういうのはダメだと。しかしながら、動物はもっとも効率的に生きようとする存在ですから、他人の足を引っ張ったり、殺してしまえばいいじゃないかとすぐに思ってしまうということは、それが一番効率的な方法だといえるかもしれません。ただし、人間は嫉妬心を獲得すると同時に発達させてきた倫理観や正義の心といった存在によって、後天的にこれらの方法を禁止しようともします。もとより生存競争の世界では同種のなかでは可能な限り殺し合わないのがルールです。邪魔だから殺すというものは動物規模でみた場合でもよろしくない行動ですから、やはり、自分が努力する方向が正しいと考えることができます。

 

嫉妬心は持っていた方がよく、嫉妬する自分は汚い人間だなどと思い悩む必要はないわけです。嫉妬というセンサーが働いたときに、正しく行動できる自分を持つことが重要です。

 

嫉妬についてのまとめ

 

嫉妬は悪いことではなく、まともな人間の持つセンサーです。

人間は往々にして嫉妬心から行動に移すときに悪い行動を選ぶから、嫉妬は悪者扱いされがち。

嫉妬心を上手く活用して、正しい行動を通じて自分にプラスになるようにしたい。

 

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