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トラウマは存在しない

トラウマは存在しない(と考える)

 

私は信仰心は乏しいのですが、一応仏教徒です。真言宗ということになります。また、アドラー心理学を支持しますので、精神的には仏教的な無の精神、つまりはなにものにも左右されず、すべてから離れるということを自らに課し、同時に科学という面ではアドラー的に「トラウマなんてありません」という考え方をしています。

 

「トラウマはある!」という意見もまあ、わからいではないのですが、そのトラウマ自体が心理学(フロイトの精神分析)によって近代に生み出された概念であって、人工物なんです。トラウマが自分の人格や行動を規定しているというのは怪しいもので、例えば、自転車に乗れないのは昔転んだことが「トラウマ」になっているからだ。とかいう「言い訳」に使われているに過ぎず、人間はやらない理由を見つけ出す天才なので、その免罪符としてトラウマという言葉が便利に使われているだけだ、と考えます。

 

試しに「トラウマはない」と決めて行動したらどうでしょうか。できないことはない。できない理由はない。自分の過去や記憶に、そういった理由を探さない。なぜなら、トラウマはないのだから。トラウマは幻想で、いま、自分がやりたくないことから逃げるための言い訳でしかないと考えたらどうなるでしょう。

 

相当の部分で人生が変わっていくはずです。

 

そんなのは、恵まれて育った人間だからいえることだと考えられるのもごもっとも。でも、それすら、やらない理由を見つける天才たる人間の性質でしかなく、私の半生を聞けば、それはそれは、なかなかに酷かったわけでして、だからこそ心理学を独学し、アドラーに出会ったわけなので、トラウマはないと考え、行動すれば、割とどうにかなるのです。

 

あると思っているうちは人生は変わりません。変えないことが自分にとって得だから、変えないのです。それはそれでいいでしょう。得な方を選べばいいのです。ただし、そのせいで前へ進むことを諦め、周囲に配慮してもらいながら生きることは、先々、さらなる不遇を囲うことになるのではないか、と思うわけです。

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