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経営者はガリレオであれ!

経営者はガリレオでなければならない

 

ある経営コンペに応募してみなさいといわれて書いたレポートのタイトルです。いま見ると恥ずかしい限りで、「〜べき」「〜でなければならない」という頭の固い「べき論」を展開しているのですが、本質的にはイイコトをいってるな、とも思うんです。

 

ガリレオといえば、天動説を否定し、地動説を唱えた人です。厳密にはコペルニクスですし、古代中国の本を紐解けば、地球も宇宙も動いていると読めなくもない内容もあるので……と、ちょっと脇に逸れましたね。こうなるとややこしいので、一番わかりやすい「ガリレオ」の名前を借りたのです。

 

なぜ経営者はガリレオでなければならないか。裁判にかけられても自分の主張を曲げないということかというと、それは違います。そういう強さもいいのですが、私がいいたいのは、「社長は宇宙の中心じゃないよ」ということです。

 

長いこと経営者をやっていると、特に会社の中心が自分、世界の中心が自分、自分のまわりを社員や客がまわってるんだ! なんて考えを持つにいたります。これはいけません。まったくの見当違いです。どちらかといえば、お客様が太陽で、会社はそのまわりをグルグルまわっているだけです。惑星あり、衛星あり、小惑星あり。そのなかから選び取られる側であって、経営者は天が動いているなんて考えてはいけないのです。

 

ちっぽけで、自分がグルグルまわる側だと認識していないと、経営者はどんどん社内に引きこもります。社内にいると、いつでも威張っていられるので、経営者としてやらなくてもいい仕事をやって、忙しかったという顔をすれば、みんなに褒めそやされるのです。とても居心地がいい。地動説など無視して、天動説によりかかっていさえすれば、現実がどうなろうと自分だけはきもちがいいわけです。当然、これではいけません。

 

かつてキリスト教の世界観が天動説を支持したともいわれますが、これは天動説を支持していることがキリスト教的世界観に合致するからであって、そういっておけば出世できるからです。「いや、僕は地動説を推します」なんていってしまうと、それでキリスト教の世界では上への道はなくなるとしたら。ほぼすべての人間が天動説を推すはずです。

 

これは会社でも同じでしょう。社長が天動説で引きこもっていれば、社員も天動説で社長のまわりをグルグルまわり、おべんちゃらをこいて出世しようとします。お客様も、利益も社内にはないのに、いつまでも社内の戦いに明け暮れて、気がつけばライバルにシェアをかっさらわれるわけですね。

 

どこかで気がつき、変えねばなりません。会社の利益も、社員の給料も、ライバルも、「社内にはいない」のです。社内にいないのに、一体なにが天動説か。「私のご機嫌を取る暇があったら、とっととお客さんのまわりをグルグルまわれ!」とどやしつける地動説の経営をとるためにも、経営者はガリレオでなくてはならないのです。

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