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経営のリスクと不確実性について考える

人間はシンプルなものが大好き

経済学の世界でも、芸術の世界でも、人というものは混乱しはじめるとついつい簡単なもの、シンプルなものを求める傾向にあります。

 

経営の世界でもきっとそうだと思います。経済モデルや経営理論など、一見してそれっぽいことをいわれれば、まったくそのとおりだと信じてしまう。シンプルが好きだからです。経営者が神頼みが大好きなのも、占いが大好きなのも縁遠いように思えて、実は地続きなんですね。頼れるものがないこと、寄る辺なきことを人は恐れます。それは仕方がないことです。

 

でも、実際はそう上手くはいきません。

日本の経済はかれこれ40年、崩壊するといわれています。バブルのときを除いて日本の政府は借金をし続けてきました。やれ破綻、もう破綻といわれて、破綻していません。不思議ですよね。細かいことは置いておくとして、一番日本の経済がマズかったと海外の経済学者が指摘するのは、いまとなってはバブル期だったりします。バブル期は日本政府は借金しませんでした。

 

政府が借金をしないということは、政府が儲かっちゃったということです。政府が儲かるということは、誰かが損をしているといえるはずです。では誰が? 答えは民間です。民間の富を政府が吸い上げたからこそ、政府が儲かった。

でも、バブル期に損をした民間の人間なんて……。おかしな話になりますよね。

 

日本人は貯金が好きです。

でも、貯金されると銀行は困ります。なぜか?

貯金されると銀行は借金を背負うことになるからです。金利がいいということは、銀行が借金をさせてくれ! 誰かお金を貸してくれ! と民間に頼んでいるという状況です。いまは金利がとても低い。手数料も賄えないほどに。ということは、銀行は民間に借金なんてしたくないんですね。でも、強引に貸し付けてくるものだから、借金が膨らみ続けてますます銀行は苦しい。貯金すればするほど銀行の経営が悪化する。日本の景気が悪化する……。

 

どうでしょう。ややこしくって嫌になってきませんか?

たくさんお金があればしあわせ!

黒字なら万事解決!!

こちらのほうがわかりやすい。だから多くの人はこういう理論に飛びつきます。それは仕方のないことです。

 

経済理論などというものは数あれど、現代貨幣理論にしたって、経済刺激策にしたって、それが正しく、モデルどおりになる保証などどこにもありません。でも、なんかわかりやすいし、それが正解のような気がするからそれで、とやってしまうのです。

 

ただ、このシンプルなものに飛びついてしまうと、リスクを抱えることになります。また、リスクと不確実性は別問題なのに、シンプルに考えたいがためにリスクも不確実性も一緒くたにしてしまうのです。そうして必要以上にすべてを恐れ、守りに入る一方で、不用意にシンプルなモデルに飛びついて大火傷をする。それがちょっとだけ賢いサルである我々なのです。

 

リスクと不確実性の見分け方

 

ギャンブルはリスクです。当たりとハズレがあるからです。ハズレれば損をするが、当たるなら儲かる。この計算ができて、当たりくじの確率がわかっていると、リスクであって、リターンも逆算できる。これがリスクです。

 

一方で、不確実性は計算できません。起こるであろうとわかっていても、いつ起こるかがあまりに遠大で、考えるだけ無駄か、考えたって答えが出ないことは不確実性なのです。宇宙人が攻めてくるですとか、この星の寿命がどうとか、リスクとして計算してはいけないものがあります。

 

あるかもしれないが、それをサルよりちょっと賢い我々が考えるのは無茶というものだ。それが不確実性です。

 

聞いた話ですが、経済学でノーベル賞をとったフリードマンは、中国は豊かにならないといったそうです。なぜなら、政治的自由のない独裁政権だから。

でも、実際はどうでしょう。中国は豊かになっています。局所的にといっても、人口の絶対数でいえば日本よりずっと豊かになっているのです。深センなどの最先端の地下鉄の駅を見れば、日本が恥ずかしい後進国に思えるはずです。

 

未来は見通せると思っていることは不確実性です。天気予報とは違います。コインの表と裏のギャンブルではありません。天気予報は膨大なデータから確率を一応計算して導き出すことができます。また、コインの表と裏は、10回連続で表が出ても次に表が出る確率は50%。計算できます。

 

確からしく計算できるものはリスクで、確率が出せないものは不確実性なのです。

 

リスクでも不確実性でもない第三の存在

 

ところで、これ以外にも一般用語でリスクとして語られるものがあるのをご存知でしょうか。それが「想定外」です。宇宙人が攻めてくる、明日交通事故で死ぬ。これは発生原因が不明であったり、確率を算出するのが困難なので不確実性といえそうですが、まだみぬ不思議な現象で明日地球が消えるかもしれない。これが「想定外」です。

 

なんでも計算すればわかるという時代がきたとして、この想定外をどうやって計算に組み込めばいいのでしょうか。明日の天気は晴れる確率が99.999%であるならば、誰もが晴れると信じてしまう。これはリスクです。計算できますから。合理性と数学の世界で完結すると信じてしまう。それが現代社会で、この進行(信仰)は今後ますます続いていくでしょう。

 

しかし、そうやって予測し得ると信じ、多数派が多数派を形成し、経済や未来を数学的に処理していくなかで、まだ見ぬ「想定外」が発生する。リスクが現実のものになっても、不確実性からの使者がやってきても同じです。

 

このときの衝撃はリーマンショックの比ではないかもしれません。

 

結論なき現代を生きる

 

資本主義は人間の楽観主義、ポジティブさによって成長するものなので、リスク・不確実性・想定外を真剣に取り扱うと、なにもできなくなってしまいます。経営は保守的になり、個人もまた保守的に生きるしかなくなります。

 

しかしながら、行き過ぎた楽観主義的資本主義は膨張状態にあるので、いま目の前にある暮らしだけを満足させればよいという原始的社会に戻ろうとすれば、こういった難問、経済成長や景気刺激、欲望の喚起や経営の諸問題は考えなくてもよくなるかもしれません。

 

リスク・不確実性・想定外の存在を知ってどうするか。

答えはありません。世界の英知が答えを見出せないものに、私などがヒントを与えることなどできません。ただ、私の個人的な考えとしては、最後は人だということです。目の届く範囲の人との暮らしが満足させれれればそれでいい。それらの人をしあわせにする経営が、よい経営だと考えればよいのです。

 

官僚が、政治が、社員が、経営者が……悪い。

そういった他責に帰するのではなく、自責の精神でできる範囲を満足させる。

不確実な時代の経営のあり方は、時代に先んじて原始的経営に回帰すべきなのではないでしょうか。

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