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「ほめちぎる教習所」のやる気の育て方

 

日本人の指示下手は教育の賜物

 

受け入れがたいですが、日本人は指示が下手です。

詳しく考えることなく、すぐに精神論に「逃げ」ます。

「できない理由を探すな!」なんてかっこいいことをいうわけですが、実態はできない理由を探す

選手、会社であれば社員に、どうすればできるかを教えられない人間の「逃げ」だったりします。

 

優秀な指導者は、どうすればできるかを教えられます。または、どうすればできるようになるか

一緒に考えてくれます。そういった部分をめんどうくさがって、選手や部下に押し付ける。

それが伝統的な日本の指導法です。「質問しにくるな、自分で考えろ」「見て盗め」は、

実に日本的で、一種、美徳とされておりますが、抽象的な物事を言葉にして教えられないだけです。

 

読んでいてむかっ腹が立つかもしれませんが、やはり、教えるだけの力がないだけなのです。

そしてそれは、教える力を育成しない、徒弟制の教育の賜物だったりします。

 

ちょっとややこしいですが、日本の教育は教え方ではなく、学び方を重視しているので、

教わる側の姿勢はかくあるべし!と教えることに「成功」しているということになります。

それがいいことか悪いことかはまったくの別問題、というよりも、当然よろしくありませんが。

 

日本人がとかくマニュアルが嫌いなのもこのあたりに理由があります。マニュアルを考えだす

力がない人間が、人の上に立つことが「美しいこと」だと社会的に了解されているからです。

教え方ではなく、生徒側の学び方、学びの姿勢を幼いころより教えているからなんですね。

 

体罰が大好き(?)なのも同じです。殴っていうことを聞かせるのは、口で言い聞かせるだけの

指導力がございませんと喧伝しているのと変わりません。殴らずとも、恫喝、度を越した叱責で

強制(矯正)するのは、犬猫のしつけのようにしか指導できないということです。犬猫は言葉が

わかりませんから、体で覚えてもらうしかないのでそうしているのであって、人間相手なのに

体で教えるというのはあまりに原始的で進歩がありません。そして無駄が多く、危険すぎます。

 

火ノ丸相撲21巻はこれからの指導者の教科書です

 

これからの時代、などと大きく出るのははばかられますが、従前の恐怖で支配する指導しか

できないのでは困ります。でも、それが許されるのが日本です。

海外の選手は、コーチが気に入らないとすぐに別のコーチを雇います。つまり、クビです。

監督の交代劇が多いのも、指導する側が「従」であって、主ではないからです。

 

しかし、この話をすると誰もが決まって小馬鹿にした態度で「甘えてんじゃねえよ」といいます。

これが日本の指導者の姿勢です。

私はまるで逆だと考えています。甘えているのは「指導者側」なのです。

指導法の改善もせず、いつまでも暴力と恐怖、人を小馬鹿にした態度で逃げ続けているから、

愛想を尽かされて海外のコーチを招聘されてしまうのです。

言葉の通じないコーチなんて、本当は呼びたくないはずです。でも、呼ばざるをえない。

それを見て、日本人をコーチにしないなんてけしからん!などという人までいるのですから、

病膏肓にいたる、といったところです。

 

日本式「負のフィードバック指導法」の問題点

 

日本人は指導法が下手だという話をいたしましたが、指導下手なのは指導が「怒ること」だと

思い込んでいるからです。厳しくすることで成長が促進されると信じきっていて、そのほかの

方法を試そうともしないか、試して失敗すると甘い顔をしたからだと決めつけてしまうためです。

 

他方、外国のコーチの指導が上手いのは、大げさにほめることに抵抗がないからかもしれません。

彼らのリアクションはオーバーです。ちょっとしたことにも思いっきり驚きます。

そういった行動が恥で、斜に構えていることがカッコイイという日本人価値観とは真逆です。

思いっきり驚いて、最大級にほめておいて、数分後には忘れているのが彼らですが、

ほめられたり感動されて嫌な思いをする人は、まずいません。

ほめられれば、もっとこうしよう、ああしよう、がんばってみようと思いますが、

しかられると、二度としない、いわれたことだけやっとこう、がんばっても無駄だと思います。

 

正のフィードバックと負のフィードバックなどといわれますが、お前はダメだといわれ続けて

育つ名選手はめったにいないということです。たまに異常値で出てきてしまうのですが、

それは天才の部類です。そんな宝くじのような人間をみて、指導とは厳しくすることだと

思ってしまう。正のフィードバックを与えればまだまだ才能の原石があったかもしれないのに、

負のフィードバックによる選別は大量の犠牲のうえに成り立っている指導法といえます。

 

「魚にお前は陸で生きていけないからダメだ」と教えれば、魚は死ぬまで自分をダメだと思って

過ごす。という海外の格言がありますが、このように負のフィードバックに頼る指導法は

犠牲と無駄が多すぎるのです。それよりも、組織、国家でも構いませんが、

どうしようもない人材をそこそこにすることのほうが、たったひとりの超天才を選び出し、

磨き上げるより強くなります。団体戦はチームの力の底上げが、ひとりの天才への注力に

勝りますから、当然です。

 

また、個人競技であったとしても、1位になる才能はなくとも、指導者として裾野を広げ、

競技人口とその質を底上げすることに寄与できますから、超天才以外はいなくて構わないという

行きすぎたエリート思想は、結果的に組織単位でライバルに敗れ、超天才すら排出できなくなります。

人を指導する立場にある方は、ぜひともこういう事実を知っておいて欲しいと思います。

 

時代が変わり、従来の方法が正しくなかったか、時代にそぐわなくなった以上、変化するしか

ありません。人間は相手を変えようとしがちですが、自分に置き換えて考えればわかるように、

誰かに強制されれば、それがどんなに正しいことでも受け入れられなくなるものです。

だったら、相手が変わるのを待つのではなく、自分が変わればいい。もちろん、人間性を

無理に変えるのではなく、視点や、やり方を変えるのです。

次の項ではやり方を変えて困難な時代を乗り越えようとする自動車教習所の本を紹介します。

 

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