子育て世代を助けることの意義をアリやハチに見る
Contents
人間は社会性の動物
アリやハチは奴隷なのだろうか
人間は社会性の動物といわれます。同時にアリやハチにも社会性がある。しかも彼らは全員兄妹です。といいますか、ほとんど姉妹です。たった一匹の女王アリと、王様アリ、ろくに働けない間抜けなオスアリと、圧倒的多数の働きアリのメスで構成されると聞いたことがあります。
彼女たちは、自分の血を残せるわけでもないのに、女王蜂のための奴隷として生きていて、一体なにが楽しいのか。
そんなふうに語る人も多いわけですが、私は以前より違うよな、と思っていたんです。
それは、女王アリや女王バチこそ、奴隷なんじゃないかということです。
私がひねくれ者だからでしょうか。かつてどこかの偉い人が「産む機械」といって怒られましたが、私にはこの女王と呼ばれているものこそが「奴隷」であって、産むために働き続ける機械のように思えてならないのです。
女王はハチならローヤルゼリーを食べ続けます。そして肥大した体で延々と子どもを産み続ける。一方働きアリたちは外に出て、好きなものを狩り、好きなものを食べる。仕事をし、時に命も投げ捨てて仲間を守りますが、それに見合った自由がある。
そう気づいたとき、私は子どもを育てる世代や世帯が「社会のお荷物」になってはいけないと思い直した次第です。
私は病気のこともあり、結婚もしておりませんが、それは不遇であると感じるのではなくて、自由を得ていると考えることにしたんですね。もっとも、病気をしていなくとも、ブサイクなので結婚など難しかったかもしれません。性格的にも非常に難があるので以下同文です。
だとしても、自由を持っている。子どもを産んで社会を維持する機能を果たさないで済んでいる。だとしたら、その機能を果たしている世代、世帯には自由の恩恵として可能な限り報いるのが「社会性の動物」のあるべき姿ではないのか。
子育て支援に予算を出そうとすると、保険料がどうという人もいるわけですけれども、私はそれは自由のタダ乗りであって、許されないことだと考えることにしています。
自分の血が残らなくとも、人間という種が発展、維持されるために必要なことは、すべての人に仕事として与えられているのだとすれば、ヒトリモンの私にもやるべきことはまだありますし、みなさんにだってあるはずです。
つまりは、もっとこういった世代に優しい社会になればいいな、と。
次世代が自分たちよりしあわせになるのは当然です。20年、30年経ったのに、同じような苦労をさせているのだとしたら、それは自分たちが無能で生きてきた意味がなかったということなんですから。
この記事へのコメントはありません。