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いま君に伝えたいお金の話・村上世彰

村上ファンドの主が書く、お金のはなし

短評

皆さんのご記憶にもあることと存じます。村上ファンド事件。ホリエモンの株式にまつわる騒動やメディアの問題などとセットで、村上世彰氏はかなり世間を騒がせた張本人ですが、実は近年、お金に関する教科書のような著作を執筆、翻訳等しています。

 

お金持ちになると、ロバート・キヨサキ氏のように「教育ビジネス」に舵を切るのが基本なのですが、村上氏もそういう方向へ走りはじめたのでしょうか。現時点ではなんともいえません。ただ、ひとつだけいえることがあるとすれば、この村上氏に「まだ金を出す人がいる」ということ。そしてそれは、「信じるに足るなにかを持っている」ということなんです。

 

ファンドというものは資産運用でお金を稼ぐ存在です。悪い人のように見えますし、濡れ手に粟、他人のふんどしともいうべき商売だと目されますが、それをいうなら銀行だって同じです。ましてや、銀行は手数料収入と国債購入で生計を立てているのですから、ファンドよりずっと……ということもできます。そしてそんな銀行を我々は使っているんですね。汚い、汚い、銀行を。

 

村上氏が本書で明かすのは、お金が汚いという人間の誤りについてです。自己弁護のようにも見えますが、お金というものは結局のところ、道具なんです。これはアメリカなどではそのように教わるので、案外すんなり受け入れられますが、日本ではどんなに説かれても浸透しない考えです。

 

お金のせいで起こる様々な問題は、お金を使う人間に起因するものなのに、お金が悪者にされてしまうんですね。包丁だって使い方を間違えれば危険なのに、悪者扱いも規制もされずに売られています。映画や小説、漫画などはその表現が少し世相に合わないだけで「有害図書」に指定されるのに。

 

極論ですが、銃はどうでしょう。アメリカでは「正しい人が持てばいいのだ」と全米ライフル協会がいうので、一向に銃規制は進みません。お金も正しい人が持てばいいのだという考えを許容する国らしいといえるかもしれません。日本では銃は悪いもののはずなのに、完全に禁止されているわけではありませんよね。警察や自衛隊などは武器として持っています。これはやはり、どんな危険な代物も、正しく使えば大変便利だということであって、包丁も銃も、お金も同じ単なる「道具」だということを指し示していると思うのです。

 

村上氏が語るお金についての新時代の教育、知っておくべき知識とはなにか。お金持ちたちが信じるに値すると思われる才覚の一旦が垣間見える一冊です。

『 いま君に伝えたいお金の話 』(Amazon)
『 いま君に伝えたいお金の話 [ 村上世彰 ] 』

この本のキーワード
  • お金は道具
  • 値段(プライスタグ)で価値は決まらない
  • お金について考えるほど、お金から自由になれる(かも)

 

さらに長い書評・感想・考えたこと

繰り返しになりますが、お金というものは、悪いものだ、汚いものだと教わります。なのに、毎日のように身につけて、使っている。お食事中のかたには申し訳ないですが、お金は場合によっては「糞尿」のように、もしくはそれ以上に悪いものだといわれるのに、そういう人もお金を持って、使っているんですよね。うんこ身につけて、うんこ触ってるんですよ。

 

それで、この矛盾をいかにするか、なんですね。悪いものだというなら、使わなければいいんです。もらわなければいいと思います。

 

かくいう私もまだ、完全には頭のなかのお金に関する設計図を書き換えられていません。悪いもの、汚いものだというイメージはあります。(ちなみにお金の設計図という言い回しはハーブ・エッカー著『 ミリオネア・マインド  』の受け売りです。私が本の宅配便サービスをやっていたころ日本語版が出て、本田健氏の翻訳ということもあって、かなり売れた本でした)


さて、話題を元に戻しますと、お金は汚いものだという考え方、指摘は、基本的に嘘つきたちがいうことなんです。理由はすでに述べたとおりで、悪いもの、汚いものなら、一切を辞せばいい。でも、汚いもの、悪いものという大人たちは、そうはしないわけでしょう? お金は汚いという人は、二枚舌の嘘つきなんですね。じゃあ、そんなことをいう人を信じちゃダメです。

 

私のいうことなんて信用できませんか? そうでしょうとも。私も知らない人に同じことをいわれたら、きっと同じように思います。「気でも触れてるのか」と思うかもしれません。でも、少なくとも私はまだ、みなさんに嘘をついていません。私はいまだかつて、お金は汚い、悪いものだといって、お金を受け取ったことはなく、同様に使ったこともないからです。お金に色はありません。お金で人生を狂わせるのは、その人がどうかしているからに過ぎません。車を安全第一で運転すればいいのに、改造して暴走するのと同じです。酒を飲んでうかつに運転するのと同じことなんです。道具の用法を間違うような「人」の問題でしかないんですよね。

 

お金が汚く悪いのに、どうして使われているのだろう?

お金が悪いものだというのに、お金が使われる理由は簡単です。お金が便利だからです。というよりも、便利だからこそ生まれてきたのがお金です。お金がない世界というものがすばらしい世界だ、ユートピアだと「お金汚い派」「お金悪い派」の人たちはいいますが、お金が存在しない世界ができたとしたら、私たちはどうなるか真剣に考えていない証拠だと思うわけです。

 

お金がない世界は、きっと略奪、殺戮が日常茶飯事になります。

 

なぜって、価値や富を保存する手段がなくなるからです。江戸時代までは石高、つまりお米もお金でした。お米や豆、きのみなどは、元々はお金の代わりです。長期間、富を保存しておけるうえに、それ自体が食べられて、命をつなぐことができます。でも、お侍さんはお米で給料をもらっても買い物できなくて困るんですね。で、お金に交換してもらうことになるんですけど、商売人に足元を見られるわけです。お侍さんは「知行取り」といって、田んぼをもらってそこで小作人や農家さんによって収穫されるお米が給料の人や、「蔵米取り」といって収穫後蔵に納められた米をわけてもらう人、給金といってわずかなお手当、年間数十万円相当のお米をお侍さんから受け取るお侍さんもいたわけです。

 

つい最近まで大相撲の聖地であって東京の蔵前は、米蔵が並んでいて、給料日になるとお米の支払手形を持ったお侍さんが蔵の前にずらりと並ぶから蔵前だなんて俗説があるくらいです。また、このころから「お金は汚い」という考えはあったようで、「侍が金勘定をするのは武家の恥」だのといってお米を自分で受け取って、お金に替える手間を惜しんだ人が多かったので、代行する商売が大盛況でした。代行すると手数料が入り、ただでさえ買い叩かれる米の価格に手数料分が差し引かれてお金になるうえに、金勘定は武家の恥なので文句をいうお侍さんも少なく(手打ちなんかもあったようですけど)、みな困窮していたといいます。お米よりお金のほうが便利な証拠です。また、お金について無頓着であるがために、損をしている証拠でもあります。

 

話しが脱線してしまいましたが、お金というのは便利だから生まれて、広まったんです。お金がなければユートピアというのは嘘です。もし、お金がなければ、お侍さんは米俵を抱えて物々交換に行かねばなりません。大八車(リヤカー)に3俵、4俵と乗せて行くのは不便です。旅行に行くにしても、旅先で寝泊まりや飲食するために大八車を引いて行くんでしょうか? そんなバカなことはできませんよね。

 

少し前にお金がない世界は略奪や殺戮ばかりになるというのは、物々交換しか方法がなければ、相手が自分が欲しいものと交換してくれないときは諦めるか、奪うしかなくなるから、なんですよね。例えば、あなたが魚を釣ってきて、相手の持っている野菜と替えて欲しいと思ったとき、相手が嫌だといえば、あなたの魚は腐っておわりです。あなたの持っている富や価値はゼロになるんです。それでは困るので、保存しやすい穀物に替えるんですけが、これでは、魚→お米→野菜と段階を踏まなければならず、その間にも鮮度は落ちますし、交換の度に足元を見られたり、価値が目減りしたり、場合によっては「お米なんていらないよ」と相手にいわれてしまうかもしれない。

「ああ、もう面倒だ。持ってる奴から奪おう」

となる人が出てくるのは容易に想像できます。そんな世界に生きたいか、という話です。私は御免蒙(こうむ)ります。お金は便利で、安全なものです。お金を奪うための犯罪も起きますが、お金を失くせばもっと重大な事態になるんです。禁酒法のせいでマフィアが富み、社会が破綻しかけたように、特定のもののせいに問題を矮小化すると、たいてい大局的に損をするんです。

 

お金は道具でしかありません。だったら、使い方を学ぶのは運転免許を取るのと同じことです。日本人はお金の免許を持っていなさすぎです。これを機に、私を含め、ちょっと勉強してみませんか?

『 いま君に伝えたいお金の話 』(Amazon)
『 いま君に伝えたいお金の話 [ 村上世彰 ] 』

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