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『夏空白花』須賀しのぶ著 サイン会&書評

夏の甲子園の戦後復活劇を描く

夏の甲子園、盛り上がりましたね。私が野球をしていたころとは比べ物にならない暑さゆえに、生徒の虐待ではないかだとか、金足旋風、相手打者を挑発するようなパフォーマンスはいかがなものかと、100回大会にふさわしい物議と歴史、感動満載の大会となりました。

 

先日も女子駅伝でありましたが、殊に団体スポーツというものは、大人が止めなければ基本的に子どもは辞めません。足が折れて立っていられなくなっても、四つん這いになり、膝から流血しながらも襷を繋いでいましたよね。ああなるのは当然です。子どもたちからすれば、いまがすべてですから。

 

「ジャネーの法則じゃねーの」などとヘラヘラ笑いながら語られたりしますけれども、50歳の1年は人生の50分の1ですが、5歳の1年は5分の1なのです。つまり、10倍の濃度がある。さらに大人はそれまでに同じような境遇、苦悩を何度も味わって慣れていますが、子どもはその一瞬一瞬が初体験です。仲間の努力を無駄にするようなことは自分の命と引き換えるだけの価値を持つのです。

 

裏切ったり、裏切られたり、失敗したり、失望されたりに慣れっこになった我々は、彼らを止めねばならない立場です。少なくとも、感動の消費財なんかにしてはいけません。大人の感動などという数ある経験のなかの何千分の一でしかないものに、子どもたちの命を賭けさせてはいけないだろうと思うわけです。

 

と、いつもより書評に入るまでが長くなりましたが、文芸作品はどうしても内容に踏み込むとネタバレとなるため、社会派を気取って文字数を稼いだと、こういうことであります。

 

『夏空白花』とはなんぞや

 

『夏空白花』は、戦後中止になっていた甲子園を復活させるという歴史的事実を元に編み直した、オリジナル小説ということになります。佐々木義登さんの書評を読み、店頭で何度か表紙と帯だけは見かけていて、ざっくりとどうやら「戦後の野球の話らしい」と興味を持っていたのですが、読むものも多いし、まだいいやと先延ばししているうちにドラフトまで終わってしまいました。そんななか、すぐ近くの書店で著者の須賀しのぶさんのサイン会があるということでせっかくならサインをもらってこようと、このたび手にしたという次第であります。

 

こういった具合ですから、当日まで「夏空白花」の読みすら知りませんでした。「なつぞらはっか」と読む。なるほど。ところで、夏空はわかるとしても白花とはなんぞや? と。これは高校球児のユニフォームのことなんですね。いまでもそうですが、多くの場合、球児のユニフォームは白基調です。ゴジラ松井の出身校、星稜高校がクリーム色だったりする以外は、基本的に白。当時は球場周囲に戦災の瓦礫がうず高く積み上げられ、焦土となっていたはずですから、空撮の飛行機から見れば、黒と赤茶の大地に突如咲いた白い花に見えたというわけです。昔の新聞記者たちは、まったく美文家ぞろいですね。

 

さてさて、作品の内容について少しだけ触れますと、主人公は朝日新聞の記者ということになります。この主人公が2つの「勝てるわけがないもの」と戦い続ける作品です。ひとつは表紙の右側、進駐軍なんですね。アメリカの先進性、国力の差を戦後にまざまざと見せつけられる描写が繰り返し挿入され、その都度勝ち目のないアメリカに対して、甲子園を再開させてくれと図々しくお願いするという話になります。いかにノーサイドを印象付けようとする先進国アメリカが相手であろうとも、そう簡単にいかないことは、明らかですよね。そこにドラマが生ずるのです。

 

ところで甲子園といえばいまでも朝日新聞が協賛ですが、朝日は現在ある日本のプロ野球をも立て直し、支えた過去を持っています。いまでは考えられませんが、ヤクザな商売で見向きもされなかったプロ野球への偏見、視座を変換させた功績があるのです。

 

国民栄誉賞を受賞されましたから野球ファンならずともご存知と思いますが、ミスタープロ野球の「長嶋茂雄」さん。当時はプロ野球、職業野球は仕事とみなされないほどに地位が低い存在で、甲子園の先にあったのは、東京六大学野球でした。日本の野球の最高峰は大学野球、六大学野球であり、その前哨戦として甲子園があるという位置付けです。その六大学野球の大スター、いまでいうイチローのような存在のミスターが読売巨人軍に入ったことからプロ野球が現在の地位にまで押し上げられたわけなんですけれども、実はこのミスター、高校時代はそこまで有名な選手ではありませんでした。しかし、この選手の可能性を見出したのが読売新聞の記者……ではなく、朝日新聞の記者だったんです。もし、朝日の記者が長嶋を六大学へと読売の知人に進言していなければ、日本最大のスポーツ娯楽「プロ野球」は存在していなかったかもしれない。巡り合わせというのは、実におもしろいものですね。

 

結局内容にはほとんど踏み込んでいませんね。私などが通り一遍にあらすじを追ったところで作品のすばらしさを伝えるどころか、貶めかねませんから、まずはみなさんに書店で手に取っていただきたいと存じます。

 

戦後、食うや食わずのときにすら、「あってもなくてもいい娯楽」の価値を信じた主人公と、その熱意にほだされた人々。敵国、占領下の一市民の努力を認めた連合軍の将校たち。余裕を失い、効率を求め、不寛容となったこの時代に、「非効率の必要性」を感じられる作品です。

 

サイン会でのおはなし

サイン会は残席なしの状態で、スタッフのかたがたは総立ち。ライトノベル時代からの大ファンがひしめくなか、他作をお読みしたこともないのに、質疑応答の先陣を切ってしまった私。本当に、出過ぎた真似をいたしました。この場を借りて謝罪をば。

 

ただ、そのおかげもあって、著者の須賀しのぶさんの執筆スタイルについてのお話を聞くことができました。須賀さんは「まとめて書く派」だそうです。公務員的に決まった時間に起き、決まった枚数を書いて、時間がきたら筆が走っていても一切やめるといったスタイルの作家さんもおられるわけですが、どうやら「降りてくる」まで待って書けるかたのようです。

 

毎日続けないといけないというルールに怯え、期限が迫ることに恐怖して、結局期限すら守れない私からすれば頭の下がる思いです。もっとも、須賀さんは刻限までなにもしないわけではなく、段ボール単位で届く資料を読み漁るようですけれども。インプットとアウトプットを並行するタイプではなく、まずは入れて咀嚼し、十分に消化できてから一気に書かれるタイプなのでしょう。精緻な筆致はそのあたりからくるものなのかもしれません。

 

また、作中に出てくる人物は、沢村栄治や正力松太郎、マッカーサーといった人物をのぞいてオリジナルということでしたが、主人公の所属する朝日新聞の戦後内紛の箇所で出てくる村山、緒方は朝日新聞の実在の人物です。村山は戦中戦後の社の方針的に一度追放されますが、その際、主筆であった緒方らの尽力で長谷部忠という人物が社主に据えられます。ただ、このあと復権した村山が再度緒方派を追い落としたとかで社主に復帰。戦中の官僚も真っ青のゴタゴタがあったわけです。そのへんもさらりと書いて通り抜けているところに、作品への身の呈しかた、打ち込みかたというものが見える気がします。覚悟を持って挑んだ者の物語を、覚悟を持って書く。それがフィクションであったとしても。

プロの作家、かくあるべし。 とても勉強になりました。

 

夏空白花

夏空白花

  • 作者:須賀 しのぶ
  • 出版社:ポプラ社
  • 発売日: 2018-07-25
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